連載⑩「日本国憲法を学びなおす」

小さな島国の宝物~日本国憲法の話をしよう その3

野間 美喜子  (2003) 

                                           
 

「軍事力がなければ、国は滅ぼされる」は本当?

 自民党や政府が考えているのは、「軍事力で国を守る。」こういう考え方です。
 平和を守るのは軍事力、軍事力がないと国が滅ぼされる。平和のためには武器が必要だ、という考えです。けれど、私たちが憲法第九条に確信を持つためには、「平和のために武器はいらないんだ。」と考えなければなりません。これから、それを見ていきましょう。

 

 たしかに昔は、特に19世紀のヨーロッパでは、軍事力のバランスによって戦争が抑止できるという考え方があったんですね。こちらの国とあちらの国が同じぐらいの軍事力を持っていると、両方が手を出さないから平和だという考え方。「力の均衡論」ですね。
 ある時期のヨーロッパの平和維持には、これが役立ったかに見えた時代がありました。しかし、その当時のヨーロッパの平和の内情は、植民地やヨーロッパの中小国を犠牲にした一握りの大国の「平和もどき」だったかもしれない。しかも、それでさえも長続きはしなかった。資本主義が進んできて力関係が変わってくると、植民地の再分割が起こってきました。
 「勢力均衡論」と言うけれど、勢力を測る秤(はかり)は実はないんですね。どちらの軍事力が強いかは、兵隊の数や戦車の数で比べられるものではない。地理的条件とか宗教、制度、あるいは士気とか・・・軍事力の秤はないんです。二国間の勢力だけを比べてみても、誰かが味方につけばこちらの勢力が強くなるわけで、客観的な勢力、バランスは測りようがない。
 そうすると、どうなるか―――。

 実際に相手に5の勢力があったとしますね。ところが、いま言ったように、勢力は測れないし、軍事機密といってなかなか敵には本当の軍事力は見せない。だから、自分たちが安心感を得るために、相手は6ぐらいじゃないかと思って自分の軍事力を7に増やす。すると、相手は7の軍事力を8くらいに見て、自分の方を9にする・・・。つまり、軍事バランス均衡論というのは、限りない軍拡競争に陥るということになります。
 さらに、自分のところだけでは不安だから、「何かあったら頼むよ」と、他の国と軍事同盟を結ぶ。それを見て、相手も誰か呼んでこなきゃいけないと軍事同盟を結ぶ・・・。同盟国の募り合いになって、世界中の国が軍事同盟でグループをつくる。
 「わたしのところが攻撃されたら、自分たちのグループはそれを我がことのように思って、相手をやっつけてください。」というのが軍事同盟です。そうすると、どういうことになるか。異なったグループの二国間の戦争や紛争が、たちまち世界的な規模の戦争になってくる。ここに集団的自衛権=同盟政策の恐ろしさがあるわけです。

 軍事バランスによる平和政策は、ゴールのない軍拡競争と飽くことのない同盟政策の追求に陥っていく。武装平和論というのは、そういう恐ろしいものなんです。勢力均衡論は平和をもたらすどころか、かえって国際間の緊張を高めて、平和の基礎を踏み崩していく。どんどん軍拡競争が高まって緊張が増していく。こういう悪循環です。
 この武装平和論が一時期、力を持ってくるんですね。「核抑制」という考えが出てくるのです。

地球を10回破壊できる国と12回破壊できる国と、どちらが強いか

 アメリカだけが核を持っていた時代があります。当時、ソ連は通常兵器で、特に陸軍の軍事力が強かった。大量報復戦略といって、アメリカは核による報復をちらつかせながら、ヨーロッパにソ連が攻めていくのを抑止する。だから核は抑止力があるんだ、ということが言われた。アメリカの核の傘でヨーロッパは平和が保たれている、という考え方です。

 ところが、1949年にソ連も核兵器を持った。そうすると、アメリカも報復攻撃を受けることになる。アメリカは、ヨーロッパをそういう形で守ることができなくなりました。
 するとまた、非常に都合のいいものの考え方が出てくるんですね。ソ連とアメリカ双方が核を持っていると、両方とも怖くて使えないじゃないか。だから相互抑止が成り立っている。こういう考え方が一時期流行りました。

 ところが、核兵器が進んできます。一機のミサイルに30ぐらいの水爆を積んで、それぞれ違った目標に打ち込むことができる兵器が出てきた。例えば、ソ連のあちこちの核基地を一機のミサイルで同時に攻撃できる「先制第一撃態勢」と言われる戦略です。確実に相手の核基地を全部やっつけることができれば、報復攻撃は受けなくて済むわけで、先にボタンを押した方が勝ちということになる。核による相互抑止の考え方も、ここで壊れたわけです。
 もう核に抑止力がなくなった。しかも核兵器を非常に小型化した中性子爆弾みたいなものも出てきて、地域紛争に限定核戦略が出てくると、核兵器が戦争を抑制するんだという幻想は、ここに至って完全に崩れ去りました。

 地球を10回破壊できる核兵器を持っている国と、12回破壊できる核兵器を持っている国とどちらが強いか、と言ってもそれは何ともならない。武装平和論は、本当は十二分に破綻しているのです。破綻していないという人も、まだたくさんいますけどね。
 「平和のために武器は必要か」という問いに答えは出ている。むしろ武器の存在こそが平和を脅かしているんだということを、人々は肌で感じています。
 1978年の第一回国連軍縮特別総会の最終文書を見ますと、「継続的平和と安全は、軍事同盟による兵器の蓄積の上に築くことはできない。」と言っています。国連レベルでは、恐怖の均衡、武器の均衡による平和はあり得ない、ということを一応言っています。
 恐怖と恐怖、あるいは武器と武器をいかにバランスよく積み上げたとしても。全体の恐怖は募るばかりで平和は来ない。それにもかかわらず、日本が軍事力を増強してきているのはなぜなのか。 (次号に続く。)

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