「1950年から1955年までの話がききたい」◆ボブ・フレミングさん再びピースあいちに
運営委員 高橋よしの
名古屋空襲の体験者の話を直接聞きたいとボブ・フレミングさんが7月22日、再びピースあいちに来られました。ボブさんは、アメリカ(バッファロー市)の現代美術アーティストで、映画「Clings and Burns Erasing NAGOYA」(しがみつき、燃やす 名古屋消滅)の作者。父親がB29の搭乗員でその遺品の写真から映画を作成し、昨年、3月ピースあいちで上映会をしました。
今度の来日は、1950年から1955年を生き延びた戦争体験者の話をきいて、そこからイメージした作品を作るためでした。
「ガザやウクライナは戦争で破壊され、ぺちゃんこになっています。名古屋も同じことが起こりました。戦後の人たちは、どうやって心を奮い立たせ、前にいこうとしたのかそれを知りたい」と話を切り出しました。
お話をしたのは、森下規矩男さん(88歳)、井戸早苗さん(88歳)、小野田孝子さん(90歳)、余語和子さん(95歳)の4名です。
森下さんは空襲体験と三重に疎開した話。父の遺品で、飛行機のエンジン作成に関する本を持ってきていました。井戸さんは空襲と戦後の給食がうれしかった話。ボブさんがピースあいちに寄贈してくれた「Run Run Nagoya」に描かれた母と娘はまるで自分だと、それをどうしても伝えたいという思いできています。小野田さんは岡崎空襲と、戦争のことは家族には話せないということを。余語さんは高等女学校2年生の時、三菱発動機が空襲を受け自分も負傷した話。42名の同級生の犠牲のもとに生き続けたうしろめたさを今もぬぐえないと語るのでした。
4名とも、原稿を用意し、「これもボブさんに話したい、これも、‥」と思いがいっぱい。ボブさんは、1950年からの5年間にどう生き延びたのか聞きたい。「元気になったのはいつですか」「戦後、一番思い出に残っている楽しいことは何ですか」と、じっくり傾聴していました。
それぞれに戦争を生き延びて、今がある。その人生を振り返りながらも、戦争だけはしてはいけない、そのことを今伝えたいという強い思いは共通していました。
ボブさんは、自分の父が名古屋に爆弾を落としたが、そのことに罪の意識を感じるというより、戦後同じ辛い経験をした者同士という気持ちが強い。戦争を経験した人たちと心のつながりを感じているといいます。
生き延びた4人の話にヒントを得たボブさん、どんな作品に実を結ぶのでしょうか。
数日後、京都で開催された作品展のポスターと写真が送られてきました。