名古屋空襲犠牲者名の追跡調査
運営委員 金子 力
ピースあいちは、「ご自身や身近な方が体験した空襲の日時や場所などを確認したい」という方から問い合わせをいただくことがあります。その際に活用しているのは名古屋空襲を記録する会編『名古屋空襲誌』全8巻+別冊、あいち平和のための戦争展実行委員会『戦時下・愛知の諸記録』をはじめ各地の空襲・戦争を記録する会の出版された書籍です。
しかし、東海地方の空襲は回数が多かったため、確定することが難しいこともあります。国会図書館デジタルコレクションから米軍の『作戦任務報告書』を閲覧して、投下された日時、爆弾・焼夷弾の種類を確認することはできますが、空襲で亡くなった方のお名前を確認することまではできません。民間人を含む空襲犠牲者名を明らかにしている愛知県内の自治体は限られています。軍人・軍属の場合は記録が残っている可能性はありますが、一般市民の空襲犠牲者名の公式記録は無いとされていることが多いのが現状です。
今年5月、アメリカ在住の日本人の方から「1945年6月9日に愛知時計電機方面に仕事で出かけたまま帰ってこなかった祖父がいる。この日の空襲で亡くなった民間人の記録は保存されていないか」という問い合わせがありました。その方はピースあいちが今年3月から4月にかけて開催した企画展示『1945年6月9日熱田空襲―8分間で奪われた2000人のいのちー』のことを知り、熱田空襲で亡くなった祖父の手がかりを求めて来日、ピースあいちを訪問されました。
「名古屋空襲犠牲者名簿」については、日朝協会の小出裕さんが「あいち平和のための戦争展」で聞き取り調査をまとめた空襲犠牲者名簿があります。さらに小出さんは国立公文書館から愛知県の徴用工・動員学徒の犠牲者名簿(工場別と学校別)を閲覧・複写されていました。現在、この8千名以上の名簿を電子データーに変換して重なりはないか点検作業をしている「瀬戸地下軍需工場跡を保存する会」の寺脇正治さんに問い合わせたところ、同一の氏名は確認できなかったとのことでした。
その後、名前だけで検索したところ、苗字は不鮮明でしたが、住所や生年月日がわかる画像データが見つかり、ご遺族に送ったところ、「祖父に間違いない」ということでした。原資料には氏名・住所・本籍のほか「負傷した日付(昭和) 20年6月9日9時40分、場所 名古屋市熱田区千年船方15 愛知時計電機、死因 爆死、死亡場所 名古屋市熱田区千年船方15愛知時計電機」などが書いてありました。ご遺族の方にお知らせしたところ、体が弱く徴兵検査にも合格しなかったので徴用工として働いていたとは考えられていなかったようで、遺体も遺品も戻ってこなかったので民間人として空襲に巻き込まれたかも知れないと思われていたようでした。
アメリカでは戦争犠牲者について政府が現在も調査・記録を継続しているそうですが、日本では軍人・軍属(動員学徒・勤労動員)を除いて民間人に対しては空襲犠牲者名簿等の公的記録が無く、補償の対象にもなっていません。ご遺族の方は長い間民間人として空襲に巻き込まれていたのではないかと考えられていましたが、国立公文書館に保存されている「法第三十四条第二項該当者名簿(被徴用者等)愛知県」によって、徴用工として6月9日熱田区千年船方15で爆死されていたことが明らかになりました。
アメリカに戻られたご遺族からメッセ―ジが届きました。「母も、父のことを今でも調べてくださる方がいらっしゃると、非常に感謝しており、良い供養になったと言っております。爆撃で、おそらくすぐに死亡したようで、苦しまなかったことが幸いでした。本当にありがとうございました。」
長年にわたってこれらの資料の発掘、電子化、分析に当ってきた日朝協会小出裕さん、瀬戸地下軍需工場跡を保存する会の寺脇正治さんのご協力に感謝いたします。