母校で戦争体験を語る◆津田さゑ子さん
自身の戦争体験を語り続ける津田さゑ子さんは88歳。2月26日に南山小学校で6年生の子どもたちを前にお話をしました。

津田さんは1937年生まれ。1945年3月19日、国民学校1年生の時空襲に遭い、御園座近くの実家は焼失。親戚を転々とし、岩倉で終戦を迎えました。
「疎開先から名古屋に帰り、東区の葵小学校に通いました。小学校は空襲で焼け、近くのお寺が学校でした。中学からは南山中学校女子部に通いました。畑の中に建てられたカマボコ校舎でした」と、73歳ほど後輩の子どもたちにもんぺ姿で語りました。
焼夷弾が降り注ぐなか逃げまどい、家が燃えたこと、学童疎開では親を恋しがり逃げ出す子もおり、寄生虫や食糧難にも悩まされ、ひもじい思いをしたことなども語り、最後に朗読した自作の詩「大空襲の朝」は、戦争のおそろしさと当時の情景がよみがえるメッセージでした。
6月、この時お話を聞いた子どもたちからメッセージがピースあいちによせられました。
ピースあいちのみなさまへ 津田さゑ子さまへ
戦争体験のお話をきかせてくださりありがとうございました。
もんぺなどの実物を見せてくださりありがとう。お話を聞いて、平和がどれだけ幸せなことかが分かりました。卒業まで残り数か月、私は家族、先生方、友達に感謝を伝えていきたいです。
私のまわりで戦争のお話をしてもらったこともないし、経験した人もいません。だから今回自分の地元の名古屋でおこった戦争によってきずつけられた心などを知れたので、次の世代にもそれを受けついでいきます。
とてもつらい話でしたが、戦争のこわさを実感しました。特に作ってくださった詩が印象ぶかかったです。近くにあったはずの生活がいきなり消える。私はこんな世のなかをくりかえさないように、世界の人々と仲良くしていきます!!
「空腹の辛さ」や「戦争のおそろしさ」などについてうかがった際は胸がしめつけられる思いでした。これまで教科書や映像でしか知らなかった「戦争」が、さゑ子様のお言葉を通して血の通った現実として頭に迫ってまいりました。
名古屋が火の海になったことや疎開先でカエルやイナゴ、イモのくきなど、現在ではとても食べることのできないものや質素なものを食べたりしていたことを聞いてとてもおどろきました。これをきっかけに平和について再度考えます。
「戦争は日常をこわす」という言葉が一番印象的でした。
津田さんのお話を聞いて、平和って何だろうと再び考えてみようと思いました。
私が一番心に残っていることは、ねるときもいつも横に防空頭巾とリュックを置いていたということです。いつでもどこにばくだんが落ちるかもしれないという状況は、平和な世界で生きている私にはわかりません。お話を語りつぎ、戦争のない世界にしていきたいです。
自分の意見も言えず、ただ国の命令に従う時代があったことに言葉を失いました。戦争中の名古屋市内が今の町とは全く違う焼け野原になっていて、建物もない人気もないさみしく暗い感じになっていたというのが印象に残っています。
さゑ子さんが着ていたもんぺなど、戦争中の生活はとてもひもじかったのだと痛感しました。4年生の時、原爆が落とされた広島に行きました。そこで戦争の絵を見ました。しかし、今回のお話でより戦争のこわさを実感することができました。
戦時中の人々の教育の仕方や考え方が現代の私たちとはまったく違いおどろきました。
多くの人に伝え忘れないようにしたい、次の世代に語り続けたい。
戦争体験のお話をきかせてくださりありがとうございました。
もんぺなどの実物を見せてくださりありがとう。お話を聞いて、平和がどれだけ幸せなことかが分かりました。卒業まで残り数か月、私は家族、先生方、友達に感謝を伝えていきたいです。
私のまわりで戦争のお話をしてもらったこともないし、経験した人もいません。だから今回自分の地元の名古屋でおこった戦争によってきずつけられた心などを知れたので、次の世代にもそれを受けついでいきます。
とてもつらい話でしたが、戦争のこわさを実感しました。特に作ってくださった詩が印象ぶかかったです。近くにあったはずの生活がいきなり消える。私はこんな世のなかをくりかえさないように、世界の人々と仲良くしていきます!!
「空腹の辛さ」や「戦争のおそろしさ」などについてうかがった際は胸がしめつけられる思いでした。これまで教科書や映像でしか知らなかった「戦争」が、さゑ子様のお言葉を通して血の通った現実として頭に迫ってまいりました。
名古屋が火の海になったことや疎開先でカエルやイナゴ、イモのくきなど、現在ではとても食べることのできないものや質素なものを食べたりしていたことを聞いてとてもおどろきました。これをきっかけに平和について再度考えます。
「戦争は日常をこわす」という言葉が一番印象的でした。
津田さんのお話を聞いて、平和って何だろうと再び考えてみようと思いました。
私が一番心に残っていることは、ねるときもいつも横に防空頭巾とリュックを置いていたということです。いつでもどこにばくだんが落ちるかもしれないという状況は、平和な世界で生きている私にはわかりません。お話を語りつぎ、戦争のない世界にしていきたいです。
自分の意見も言えず、ただ国の命令に従う時代があったことに言葉を失いました。戦争中の名古屋市内が今の町とは全く違う焼け野原になっていて、建物もない人気もないさみしく暗い感じになっていたというのが印象に残っています。
さゑ子さんが着ていたもんぺなど、戦争中の生活はとてもひもじかったのだと痛感しました。4年生の時、原爆が落とされた広島に行きました。そこで戦争の絵を見ました。しかし、今回のお話でより戦争のこわさを実感することができました。
戦時中の人々の教育の仕方や考え方が現代の私たちとはまったく違いおどろきました。
多くの人に伝え忘れないようにしたい、次の世代に語り続けたい。