◆所蔵品から◆ 資料ナンバー10367・7618 愛知時計に関する手紙の話 資料班
愛知県知事弔慰文
今月は、2026年3月・4月にピースあいちで開催されていた名古屋空襲展「1945年6月9日 熱田空襲―8分間で奪われた2000人のいのち」で展示していた資料からご紹介します。
まずご紹介するのは「県知事からの弔意文」です。
ガリ版(謄写版)印刷のメッセージで、最後には愛知県産業報国会長・愛知県知事の名前が入っています。
空襲のあった日から1か月後の「昭和二十年七月九日」の日付で出されています。(昭和20年は1945年です)
この時代の公式の文書は、漢字と片仮名で書かれています。言いまわしはかなり文語調というか古文の授業で出てくるような言葉づかいです。「生産戦線ニ奮闘セラレアリシモ」「痛恨ノ極ミナリ」などと書かれています。
文の最初の副詞など、今は平仮名で書かれる言葉が漢字で書かれていて、読みにくいかもしれません。いくつか拾ってみます。
「克ク」…よく 「終ニ」…ついに 「其ノ」…その 「秋」…とき 「已ニ」…すでに 「寔ニ」…まことに 「然リ」…しかり 「雖モ」…いえども 「茲ニ」…ここに
愛知航空機株式会社から勤労動員学徒の家族へあてた手紙
もう1点は愛知航空機から、勤労動員の生徒の家族宛ての手紙です。昭和19年(1944年)4月27日の日付です。
これはさらに古めかしい文体で、文末が「候」(そうろう)になっています。
家族宛ての手紙 冒頭
拡大して見てみます。冒頭のところです。
1行目「益々御清適ニ被為渉奉賀上候」は、「ますますご健勝のこととお喜び申し上げます」と同じような意味です。古文だけでなく漢文の知識も必要になってきそうです。
あいさつの次は「さて」と続きそうなところですが漢字2文字「陳者」で始まっています。「のぶれば」と読むそうです。「陳」が動詞「のべる」(昔は下二段活用で「のぶ」)、「者」が「ば」にあたるのだそうです。
旧漢字も多く使われています。たとえば
「勤勞」(勤労)「學徒」(学徒)「國家」(国家)「當社」(当社)「興廢」(興廃)
などです。
読みが難しそうなのは
「曩ニ」…さきに 「有之」…これあり 「堪ヘザル」…たえざる 「御座候」…ござそうろう(ございます) 「双肩ニ擔ツテ」…そうけんにになって 「各々」…おのおの
などがあります。
家族宛ての手紙 文末
本文の最後のところです。
この中の旧漢字をあげてみると
「監督官廳」(監督官庁)「變化」(変化)「精神」(精神)「肉體」(肉体)「激勵ノ辭」(激励の辞)「與ヘラレテ」(与えられて)「尨大」(膨大)「應ヘテ」(応えて・こたえて)「彌栄」(弥栄・いやさか・ますますさかえること)
などがあります。読みの難しいのは
「萬」…よろず 「蒙ル」…こうむる 「這般ノ」…しゃはんの(この、こういう) 「先ハ」…まずは 「乍略儀」…りゃくぎながら 「寸楮ヲ以テ」…すんちょ(短い手紙)をもって 「御挨拶申述度」…ごあいさつもうしのべたく 「如斯」…かくのごとく(に)
などがあります。
家族あての手紙 封筒表・裏と手紙の末尾の連絡先のリスト
封筒もご覧いただきます。「父兄殿」の表書きで、封筒にのり付けがされていないことから、郵送ではなく家族に手渡されたもののようです。
手紙本文には「御子弟ノ健康ニ留意セラレ」「精神的慰安ニモ格別ノ御配慮ヲ」など、動員される生徒・学生に対する家庭での心身のケアのお願いも書かれています。生徒たちは寮生活をするというイメージがあったのですが、この手紙は家から通う生徒の家族に向けた文面になっています。
この手紙には働く生徒やその家族に対する思いやりや気遣いが感じられる部分もあるように思いました。でも生徒たちの働く工場の生産物は、人の命や尊厳を奪う戦争に直結している、とも思いました。
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