平和祈念展示資料館(帰還者たちの記憶ミュージアム)
ボランティア 和田 徹也
「おまえの命は拾った命だな」と学校の先生から言われたよ、と母に伝えたところ「拾った命なんてとんでもない。大変だったんだから」と母が気持ちを抑えることなく叫んだそうだ。確かこんなエピソードだった。ずっと昔ラジオで聞いた。話していたのは歌手の加藤登紀子。1943年ハルビン生まれの加藤は大陸からの引揚者の一人。引揚げと聞くと、このエピソードが思い出される。
引揚げの展示をみた。東京・新宿にある平和祈念展示資料館(帰還者たちの記憶ミュージアム)でのこと。この資料館の常設展は、引揚げに加えて、兵士、戦時強制抑留、の三つのコーナーがある。この三つのコーナーを兵士・抑留・引揚げの順に見学するように配置されている。常設展のあとには、企画展示コーナーがある。さらに進むと、ビデオシアター・図書閲覧・情報メディアのコーナーがあった。
引揚の大変さを示すものたち:引揚者カード、検疫済証明書、帰還/引揚証明書等の書類。帰国を待つ間に廃屋で作ったリュック、引揚時の胸章、引き揚げ船乗り組みの折りに支給されたアルミ製の船内食器、12歳の少年が自分で書いた母親の死亡届、など多数。
なかでも印象に残ったのは、子供用ワンピース及び幼い子どもと母が一緒に写った一枚の写真。ワンピースは4歳の娘のために作ったもので、材料は亡くなった子どもの布おむつ。幼い子どもと母の写真は釜山の引揚収容所で撮影された。母親は亡くなっていて胸の上で手を組んでいる。横たわった母の枕元、仮祭壇の横、にちょこんと座りカメラの方を向いている子ども。加藤登紀子と母もこのなかに生きていた。
シベリア抑留のコーナーの展示物:ドイツ人抑留者に作り方を教わった手製のコップ。手製のカミソリ、手製の眼鏡、手製の火打ち石、手製の靴下、など手製のものも多く展示されていた。収容所内の活動の一つの民主化運動についての展示品もある。
抑留コーナーの数多の展示の中で印象に残ったものは、袖なしの防寒外套とソ連製の女性軍医服。ソ連兵とパンを交換するために袖を切り取って袖なしになった外套。女性軍医服は、抑留された看護婦が帰国する際に、若い娘がズボンでは…、とソ連の女性軍医がくれたもの。
この資料館は新宿住友ビル(「三角ビル」)の33階にある。JR等の新宿駅から徒歩10~15分あるいは都営地下鉄大江戸線「都庁前」下車直ぐ。
今回の訪問は、ピースあいちの企画展「第13回寄贈品展 戦後80年 時をつなぐモノたち」で引揚げ・抑留関連の展示を見たこともきっかけとなっている。