ちょっとひといき◆平和のための女の子のお名前ランキング
当NPO理事 西形 久司
戦後しばらくの間、生まれてきた女の子の名前に「和子」が多いのは、多くの国民が平和を望んだから……というような話を、その昔、聞いたことがあります。和子の「和」は平和の「和」。でも、ほんとかな? というわけで、調べてみました。いまから100年前にさかのぼって、年ごとのベスト3を中心にみていきます(以下は明治安田生命の「生まれ年別名前ベスト10」に依拠しています)。
いまから100年前の1926(大正15)年、この年の12月25日に大正天皇が亡くなり、即日改元で昭和元年となりました。つまり昭和元年は1週間しかなかったことになります。
この年の女の子のお名前ベスト3は久子・幸子・美代子の順で、和子は第6位だったのですが、翌1927(昭和2)年に和子は堂々の1位に躍進します。第2位が昭子なので、昭和改元にともなうブームと考えられます。ちなみに前年第1位の久子は3位に後退しました。その翌年の1928年、ベスト3は和子・節子・幸子で、早くも昭子は圏外に消えました。
ということは、和子の第1位は昭和改元ブームだけでもなさそうです。実際に、1929年は和子・幸子・美代子、1930年、和子・幸子・節子で、1939年までの1930年代はこの3つが不動のベスト3でした。和子は平和でも昭和でもなかったのだとすれば、この安定感は何でしょう? 謎ですね。
この間、1937年には日中戦争が全面化し、戦争の足音はしだいに高鳴ってきます。
1940年、それまでの不動のベスト3に異変が起きました。紀子が突然第1位に躍り出たのです。これは明らかに「紀元は二千六百年」のキャンペーンが煽った結果でしょう。このブームは一過性のものなので、翌年にははやくも紀子は圏外に消え去ります。
さていよいよ戦いの舞台は太平洋にまで広がっていきます。というわけで、1941年のベスト3は和子・幸子・洋子で、洋子が初のベスト3入りを果たします。そしてついに1942年には洋子・和子・幸子の順になり、洋子は堂々の第1位。太平洋戦争開戦と関りがあるのでしょうか。ただし、あの戦争を太平洋戦争と呼ぶようになったのは戦後の占領軍のキャンペーンによるものです。開戦の頃は大東亜戦争と呼ばれていましたが、少なくとも開戦とともに太平洋へと国民の眼が向けられたことは事実でしょう。
1943・44年は和子・洋子・幸子で、和子の首位が復活します。太平洋の戦線がずるずると後退し始めると、洋子も第2位に後退していきます。
敗戦の年1945年。和子・幸子・洋子の順で、以下1948年までの4年間はこのパターンがベスト3です。戦争が終わって国民は平和と幸福を希求したのでした。
1949年は幸子・和子・洋子となって、不動の二番手・三番手であった幸子が首位の座に。せめて幸せな子に育ってほしいという親心かも。
1950年。この年の6月お隣の朝鮮半島で戦争勃発。海の向こうでまたしても戦火。やはり平和がいちばん。というわけで(?)和子・洋子・幸子。和子が首位に返り咲きました。平和が脅かされ、平和が恋しくなると、和子が浮上すると言えるかもしれません。幸子は後退。世界が平和であってこそ、個人の幸福はかなえられます。
翌1951年も和子・洋子・恵子で、和子は相変わらずの首位。恵子がベスト3初登場。幸子は圏外です。幸せな子は恵まれた子です。恵子は幸子にとって代わったと言えるかもしれません。
じわじわと恵子が上位に進出します。1952年、和子・恵子・洋子で恵子は第2位。1953年、恵子・洋子・和子で、恵子が初の第1位となりました。なお、洋子が安定しているのは日常生活のなかに「洋もの」が入り込んできたから? なんとなく「洋」の字に華やかさや憧れが映りこんでいるように思われるのですが。
1954年は恵子・洋子・幸子。和子はついに第5位に後退。平和よりも安定志向なのでしょうか。
1955年は戦後10年。ベスト3は洋子・恵子・京子となり、京子が初のランクイン。集団就職が盛んになった頃でもあり、京=都=東京への憧れがほんのりと現れたのかもしれませんね。ちなみに和子は第5位です。
経済白書が「もはや戦後ではない」と書き、経済の高度成長が始まった1956年は、恵子・京子・洋子。この3つが御三家になりました。和子は第5位。
1957年は恵子・京子・洋子。御三家の中での若干の入れ替え。和子は第5位。
1958年。恵子・久美子・洋子。漢字3字のお名前がランクインしました。和子は第8位。ちなみに第7位は美智子、つまりミッチーブームの到来です。
1959年、恵子・久美子・智子で智子が初のベスト3。第4位に美智子。和子はついにベスト10の圏外に。平和はいずこへ?
1960年と言えば安保の年。恵子・由美子・久美子で、漢字3字のお名前が2つもベスト3に顔を出しました。美智子は早くもベスト10の圏外へ。ブームとは、かくもはかないものか。和子はかろうじて第10位。1961年、恵子・由美子・久美子。和子も美智子もベストテン圏外に消え、以後復活することはありません。1962年、久美子・由美子・恵子。漢字3字がワン・ツーを独占。1963年、由美子・恵子・久美子。順位に若干の変化。
1964年は東京オリンピックで世間が湧いた年。10月1日東海道新幹線開通。10日開会式。由美子・真由美・明美。東京オリンピックとは、おそらく無関係かと思われますが、ベスト3すべて「美」の1字を共有しています。
余談ですが、東京都が「首都美化運動」を呼びかけ、「一千万人の手で東京をきれいに」が標語になり、看板には「首都美化」の文字が躍りました。「美しい国日本(!)」を世界にアピール?
さて、実はこの年、女の子のお名前に画期的な事態が起きていることにお気づきでしょうか? いままでたいてい漢字1~2字+子という名前のつくりになっていたのですが、この年、初めて子のつかない名前がベスト3入りしたのでした。私はこれを「子離れ」現象と呼んでいます。
漢字1~2字+子ということは、いままで実質的に漢字1字か2字での勝負だったことになりますが、その縛りからついに女の子たちは解き放たれたのでした。ひらがなオンリーの「ゆかり」が上位に登場したのもこの頃でした。漢字の自由な組み合わせや、ときにひらがなもあり、という時代になったのでした。お名前が一気に自由化し始めた、その元年が東京オリンピックの年だったのでした。ある意味では、こんにちのキラキラネームへの扉が開かれたと言えるかもしれませんね。
オリンピック明けの1965年。明美・真由美・由美子。ほかにも直美とか。やはり親の願いは美しく?
さてさて。男の子のお名前100年の歴史となると、勇・茂・実の漢字1字勝負が定番で、この3つがほぼ不動のベスト3。あとに健康第一の健一が続いたりしますが、女の子の名前のバリエーションに比べ、男の子の名前にはくふうの余地があまりないのでしょうか、さっぱり面白くありません。
でも近年は男の子にもキラキラネームがはやっていて、試験監督をやっているとき(あ、私の勤務校は男子校です)、出席簿の氏名欄を見ているとけっこう楽しくなります。たとえば、宇宙輝と書いて「コスモ」と読むケースがありました。いやあ、キラキラしてますね……。
*ここでは名前の字面のみに注目しました。見た目だけでなく、かわいらしい音や、画数、芸能人の名前と流行などという要素も当然あるかと思いますが、ちょっと私の手には負えません。ご容赦を。