◆所蔵品から◆
資料ナンバー10501 学童疎開先のお寺にあった木刀の話
資料班



木刀
今月ご覧いただくのはこちらの木刀です。
昨年(2024年)の夏に寄贈を受けました。


木刀 文字
一部を拡大してご覧いただきます。
「露橋小學校」と文字が書いてあります。
ピースあいちの子ども展「戦争の中の子どもたち」で毎年展示している「疎開かるた」を作った子どもたちの学校です。
この木刀は岐阜県美濃市のお寺、永昌院から寄贈をいただきました。その時の聞きとりのメモによると、昭和19年(1944年)8月から昭和20年(1945年)12月ごろまで、露橋小学校(当時は露橋国民学校)の児童たちが学童集団疎開で永昌院に滞在していたのだそうです。
伊勢湾台風で(1959年)被災したお堂を整理していたら出てきたものだそうです。そこは疎開した子どもたちが寝泊まりしていた場所でした。


ピースあいち子ども展「疎開かるた」展示
さきほどお伝えしたように、ピースあいちの子ども展「戦争の中の子どもたち」では「疎開かるた」を展示しています。
かるたの箱には「永昌院寮」「昭和二十年十一月三日」「名古屋市露橋国民学校」「初五男」「合同作製」などの文字が書かれています。

疎開かるた
かるたの中からいくつか紹介します。
「ワートユー」(「わー」と言う)、「ルールシューセース」(ルール修正す)というのは、モールス信号を覚えるときの語呂合わせです。
「ワ」が「-・-」、
「ル」が「-・--・」です。
「ワ」と「室長集合」のつながりは、わかりません。

疎開かるた
もう1種類ご覧いただきます。
「ABCと 英語の勉強」。
戦争が終わって英語の授業が始まったのでしょうか。
詳しい画像はこちらからどうぞ。
https://peace-aichi.com/pdf/20250723_sokaibokutou.pdf
ピースあいちウェブサイトの、所蔵品の紹介のページからも、バックナンバーの関連画像が見られます。よかったらこちらもどうぞ。
https://peace-aichi.com/objects/