戦後80年、今思うこと◆「平常」が続く有難さ

ピースあいち語り手の会  松下 哲子





 昭和20年の8月15日を、私は疎開先の平壌(ぴょんやん)で迎えた。昼間のラジオ放送で日本の敗戦を知らされ、茫然とするしかない私たちの耳に当日の夜を徹して響いたのは、35年にも及ぶ日本の植民地支配からの解放を喜ぶ朝鮮の人々の歓声と、ひっきりなしに打ち上げられる花火の音だった。

 あの時から80年。その間も世界では朝鮮戦争やベトナム戦争、湾岸戦争等々、そして今はロシアによるウクライナ侵略やイスラエルのパレスチナ抑圧と戦火は絶えることがない。しかし、日本はともかくもそれらの戦いに交わることなく過ごしてきた。
 この貴重な80年という平和な時間の重みを、私達はしっかりと考えて受けとめているだろうか。近代の日本は、日清戦争以後ほぼ10年おきに戦争をしている。とどのつまりが日中戦争から第二次大戦へ、と泥沼にはまってしまった。そうした歴史からすると、80年の平和は、当たり前にそこにある、というようなものでは決してないのだと思う。

 私は満州国という植民地で生まれ、当時としては恵まれた環境で育ったが、敗戦と同時に日本人を「侵略者」として敵視する人々の中で不安な一年を送ったのち、自分で持てるだけの荷物の携帯を許されて帰国した。
 私達は、中国をはじめ、アジアの多くの人々の命を奪い、国民の命をも多数犠牲にして戦争の愚かさを学んだはずなのだ。このずっしりと重い80年を決しておろそかにしてはならない。憲法の前文にあるように、「政府の行為によって再び戦争の惨禍を起こさないようにする」ために、若い人々にはかつての世代が冒した負の歴史を直視し、よく学んでもらいたい。そして平和は一人一人が守るべきものと自覚して、世界の国々、とりわけ近隣諸国とは交流を密にし、これまでの80年を100年、200年永遠の平和につなげてほしい。

 今想うのは「平常」が続く有難さである。