ピースあいち訪問記◆知り、想像し、伝えていく
長谷川 真理子 (千種区在住)
ピースあいちへ7歳の娘と初めて訪れたのは去年の夏でした。娘ははじめ、遠くからでも目に飛び込んでくるような衝撃的なパネルに「こわい」と後ずさりしていましたが、「ね、でもこれが戦争なんだよね」と伝えながら、一緒にゆっくりと進むうちに、いつしかパネルの前に立ち止まり、じっくりと見つめていました。
今回は、ガイドさんが概要を解説しながら一緒に進んでくださり、聞きたいことも質問でき、とてもよかったです。

印象に残っているのは、沖縄戦のときに住民たちが自決用の青酸カリを持たされていたこと。「米兵に殺されそうになったらその前に自決しろ」ということだと。私も兵士だった義理の祖父からよく戦争の話を聞かせてもらい、「アメリカ兵に殺されることは恥だから、その前に自決するんだ」と聞き驚いたのを思い出しました。でもそれが一般の住民にまで課せられていたことを初めて知り、一体どんな思いでいたのだろうと、いたたまれなくなります。
もう1つは、戦後しばらくは長崎の原爆資料館に犠牲者の遺体が展示されていたという事実。それを見た人たちのショックが大きすぎたことから、撤去されたということです。そこから、広島の原爆資料館からも被爆直後の皮膚が垂れ下がった人たちのリアルな蝋人形が撤去された話に。子どもたちに刺激が強すぎるからと、せっかく広島へ行っても資料館へ入らない学校もあるそうです。
到底直視できないようなこと、そこにこそ、原爆や戦争の「非人道性」があり、たとえ直視できなくとも、とうてい直視できないようなことが現実として起きたんだという肌に突き刺さる空気をせめて、その場に立って感じてくることはとても大切なのではないかと思います。
そして、残酷で刺激の強いものを見ることだけが大事だとも思いません。今は白黒の写真の向こうでも、それは、家族や友人、好きなひとたちと共に、わたしたちと何も変わらない色づいた日々を生きていた人たちに、現実に起こったことなんだと想像していくことが、一番大切のような気がします。その意味で、今の実物展示に重きを置く広島の資料館を訪れた際、犠牲者一人一人の人物について、遺品と共に丁寧に記されていて、「たしかにこの人は生きていたんだ」と、一つ一つ実感や想像がかきたてられ、かえって戦争の非道さが胸に迫る感じがしました。
2階の展示を案内していただいた後、3階の名古屋空襲展をみました。父親がB29の搭乗員だったボブ・フレミングさんの寄せた資料のなかに、戦闘機に搭乗し爆撃した日付と時刻が刻まれたものがあり、その整然と並んだ事務的な数字を眺めながら、これは本当に、同じ「人」が「人」にしたことなんだという生々しい実感が沸きました。
爆弾を落としたあと、街や人の焼けつく匂いが上へ上り、その匂いも戦闘機は吸い上げたまま戻っていく。扉を開けるたびに広がったであろうその独特な匂いに、父は何を感じていたのかと想いを馳せるフレミングさん。その彼が今、自身で名古屋へ足を運び、アートを通して平和を伝えようとしていることに感動しました。
ピースあいちは貴重な資料が本当に豊富なので、何度でも足を運びながら、一つ一つを知り、そして想像し、子どもたちとも話していきたいと思います。そしてぜひ、もっとたくさんの学生さんにも利用していただきたいです。