「分からないこと」と向き合う◆大学生のピースあいち見学(5月7日)
名城大学教授 当NPO理事 渋井 康弘

(1)「分からない」ことだらけ
5月7日、大学の授業の一環として、学生をピースあいち見学に連れて行きました。ピースあいちが開館して18年になりますが、その間、私は15回くらい、こうした見学会を行ってきました。
毎年、学生は戦争と平和に関するレクチャーを受けており、それを踏まえてピースあいちを訪問します。でも私は連れてくるたび、「館内の展示は分からないことだらけだろうな」と思っています。そして、それでも良いと思っています。むしろ、すぐに「分かった」と思うより、「分からないことがたくさんある」と自覚してくれた方がはるかに良いです。
(2)被害者が加害者になり、加害者が被害者になる
そもそも戦争と平和の諸問題は、見てすぐに「分かった」と思える類のものではありません。戦争の中では、加害者だと思われた人が他面では被害者でもあり、明らかに被害者であると思われる人も、他面から見ると加害者であったりします。一筋縄ではいかないこの分かり難さの中で、無数の人の命が奪われていくという不条理の極にあるものが戦争だとも言えます。
「ピースあいちでは、日本が経験した被害の側面と、加害の側面が、どちらも事実に基づいて展示されています。」私はいつも学生にこう説明しています。空襲の展示で伝えられる目を覆いたくなるような被害の側面。同時に、他国の人々を攻撃した日本軍とそれを支えた日本国民の加害性――そのどちらもが戦中の日本人であり、しかもしばしば同じ人が両面を持っています。

(3)分からなくても考え続ける
どちらが善い(悪い)、どちらが正しい(間違っている)という結論をすぐに出して、それで「分かった」と思う人がいます。でも戦争は決してそう単純ではなく、もっとわけの分からないものです。そしてそのわけの分からぬ事態の中で、多くの人が死んでいくのです。そういう不条理なものを自分はどのように捉えるのか。そして自分はそうした事実とどう向き合うのか。すぐにAIが答えてくれるようなものではありません。すぐに分からないことに耐えながら考える努力をする。私は学生たちに、そういう人間らしい営みをしてもらいたいと思っています。
今回は、B29に搭乗して名古屋空襲を実行したロバート・バーク・フレミング氏の企画展示もあり、被害と加害の関係はさらに複雑でした。名古屋に焼夷弾を落としたロバートさんは、その点だけを見れば明らかに加害者ですが、その彼が従軍中に父親に送った手紙には、「父さん、私が関わっている任務はかなり過酷です。昨日一緒に過ごした友人が、今日亡くなってしまう。そんな風に友人を失うつらさをわかってしまった。私にも間違いなく起こりうることです」と、その苦しい胸のうちを綴っていました。彼は戦後、弁護士として、ベトナム戦争への従軍を拒否した若者を弁護したそうです。
だからと言って名古屋空襲の犠牲者が慰められはしませんが、彼のような人間に名古屋を焼き尽くすという行為をさせたものはいったい何だったのか。一言で答えが「分かる」ものではありません。しかし「考え続ける」ことをしなければ、また同じことが繰り返されるでしょう。
(4)考えはじめてくれただろうか
見学翌週の授業で学生から提出されたレポートには、「被害者、加害者と簡単に割り切ってしまうと、事実が見えなくなる」、「当事者として(他人事としてではなく)考える必要がある」、「語り伝えることが、自分たちにできること」といったコメントが見られました。それぞれに「分からないこと」とどう向き合うかを考えてくれたのかなと、思っています。