◆所蔵品から◆資料ナンバー2176 大阪朝日新聞 1936年2月27日 の話
資料班



大阪朝日新聞 1936年2月27日

大阪朝日新聞 1936年2月27日

 今月ご紹介するのは二・二六事件を伝える新聞(大阪朝日新聞夕刊 1936年2月27日)です。

 ピースあいちの今年(2023年)の夏の企画展は「新美南吉の生きた時代-文学と戦争と平和-」というタイトルです。愛知県生まれの児童文学作家、新美南吉を取り上げます。
 「ごんぎつね」などの作品の紹介とともに、時代背景の解説のパネルもあります。
 二・二六事件が起きた1936年2月26日、新美南吉は満22歳。東京外国語学校を卒業する直前でした。

大阪朝日新聞第3号外 1936年2月27日

以前ご紹介した新聞
大阪朝日新聞第3号外 1936年2月27日

 陸軍の青年将校が首相官邸などを襲撃した、二・二六事件。以前も「所蔵品から」で二・二六事件を取り上げた新聞をご紹介したことがあります。
 その時は見ていただけなかった新聞を今回はご紹介しようと思います。



↓以前の記事はこちら↓
◆資料ナンバー2147・2148 80年前の新聞(二・二六事件)の話
 (ピースあいち・メールマガジン第75号 2016年2月25日発行)
詳しい画像

 

大阪朝日新聞 1936年2月27日

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 冒頭の新聞の「帝都に空前の大凶変」という見出しの下の部分を拡大しました。
 2月27日の時点では「岡田首相即死」という発表でしたが、後に、隠れて逃げ延びていたことがわかります。

大阪朝日新聞 1936年2月27日

大阪朝日新聞 1936年2月27日

 最後の面は、広告です。薬が多いですね。下のほうの黒地に白い文字は「生徒募集 大阪女子高等医学専門学校」。調べたら、関西医科大学の前身の学校です。

大阪朝日新聞夕刊 1936年2月28日

大阪朝日新聞夕刊 1936年2月28日

 28日の新聞(夕刊)です。
 「警戒線も撤去され けふ平静な帝都の姿」「治安は回復された」
 中段には「中京も平常通り」という項目もあります。
 小さい字まで読むと、「三宅坂に一小部隊が整列しているのと首相官邸附近を固めている少人数の銃剣姿があるのとを除けば」「全く平静のいつもの麹町である」と書かれています。さらに「九段坂」には「戒厳司令部の警戒に当っている歩哨」が「治安の重責に当っている」ということで、「平静」な姿は武力で抑え込まれた結果だったようです。戒厳令は続いています。

大阪朝日新聞 1936年2月29日 大阪朝日新聞 1936年2月29日

大阪朝日新聞 1936年2月29日

 さらに次の日、29日の新聞の2面です。下段の広告は、映画が多いようです。それぞれ特徴的な書き文字を使ったデザインがおもしろいです。
 中央左寄りに「とに角(とにかく)視察だ」という見出しがあります。
 続いて小さい文字で、「訪日のオリンピック委員長 ラツール伯紐育(ニューヨーク)へ」。
 1936年はベルリンオリンピックの年です。その次の1940年のオリンピックのための「視察」です。
 ラツール伯の視察を伝える写真ニュース速報も、以前の「所蔵品から」で取り上げたことがあります。

時事写真速報 1936年3月21日

以前ご紹介した時事写真速報
1936年3月21日

 来日したオリンピック委員長ラツール伯が「東京をどり」を見物し、「ターキー(水の江瀧子)」さんと握手。3月21日の日付がついています。ニューヨークの後に来日という日程だったようです。



↓以前の記事はこちら↓
◆資料ナンバー1710その他 「時事写真速報」の話
 (ピースあいち・メールマガジン第123号 2020年2月25日発行)
詳しい画像

大阪朝日新聞 1936年2月27日

大阪朝日新聞 1936年2月27日(部分)

 ターキーといえば、今回ご紹介した新聞に、水の江瀧子さんが登場する広告が載っていました。
 最初の新聞の、下段右端です。


詳しい画像はこちらからどうぞ。
https://peace-aichi.com/pdf/20230421_0226shinbun2.pdf

ピースあいちウェブサイトの、所蔵品の紹介のページからも、バックナンバーの関連画像が見られます。よかったらこちらもどうぞ。
https://peace-aichi.com/objects/