連載⑮「日本国憲法を学びなおす」

朝、目をさましたら憲法が…国家緊急権 野間 美喜子  (1984) 

                                           
 

展覧会場の様子1

『負けるな 日本国憲法』名古屋憲法問題研究会

当然に当然だろうか

 ―戦争や内乱など、国家の緊急事態(有事)に備えて自衛隊をもつことは、国家として当然のことではないか。そして、自衛隊がその目的を効果的に、円滑に行えるようあらかじめ法律をつくっておくこと(有事立法)は、これまた、国家として当然のことではないか。そして、日本国憲法第九条が、これらを禁止しているのなら、第九条を「改正」することも、当然のことである―

 改憲派、有事立法推進派の人びとの意見を聞いてみると、どうもこの「当然」というところにつきるようです。でもいったいそんなに当然のことなのでしょうか。
 その人たちの考え方の基本的な特徴は、危機解決法をもっぱら国家中心に考えていることです。

―有事の際には、国民は一丸となって国家に協力しなければならない。そのため人権は大幅に制限され、国家のために人的にも物的にも総動員される。また、国家権力が分立してたがいに抑制し合っている(権力分立)のでは間に合わないから、権力は一ヵ所(ふつうは、政府)に集中される。そして政府は、国家の最も強力な組織である軍隊を用いて敵に対処する―

 そういう方法は、昔からとられてきたし、現在でも「当然」だと思う人が多いのです。緊急事態において、国家が一時的に、権力の分散をやめて権力を集中し、国民の人権を広範に制限できるというのが「国家緊急権」と言われるものです。
 それは、緊急事態に直面した国家の権利であるから、憲法や法律に規定がなくても、国家はそのようなことをなしうる、という人もいるぐらいです。

 しかし、規定もないのにこのような強大な権利を国家に認めるのは穏やかでないから、あらかじめ法律で規定しておこうというのが、前に述べた有事立法です。
 法律をつくるには、憲法に規定がなければならないというので、改憲派の人びとは、国家緊急権の規定を憲法に入れることに大変熱心です。いったん憲法や法律で規定されてしまえば、国家緊急権は、もはや一つのアイデアであるにとどまらず、社会と国民を拘束する制度となってしまいます。

 1964年7月、当時の政府憲法調査会の最終報告書では、「国家緊急権について憲法上規定を設けるべきだ」との多数意見が報告されています。
 次節で詳しく紹介する自民党憲法調査会の中間報告も、議員全員が死亡して国会召集や参議院の緊急集会さえできない場合がありうるからという、いささかマンガ的な理由で「内閣による国家緊急権の規定をこの(緊急集会)制度とは別途に置くべきである」と主張しているのです。

だれのための国家緊急権か

 しかし、このように、国家緊急権の提案が、国民の側からではなく、政府や自民党という時の政治権力者の側から声高に主張されていることに、国家緊急権という考えあるいは制度のもつ性格が端的に現れているのです。
 国家緊急権は誰のためにあるのか。国家緊急権によって守られるという「国家」とは何なのか。現在までの歴史が、明らかにしています。

 

 国家緊急権が最も完備された形で制度化されていた憲法は、ほかならぬ明治憲法でした。
 一時的に軍隊による専制政治を設定する「戒厳」の制度が、天皇の大権として認められ(第一四条)、さらにこの戒厳より強力な「非常大権」の制度も認められていました(第三一条)。あらかじめ議会を通さずに法律にかわる命令をつくったり財政処分をなしうる「緊急勅令」(第八条)や「緊急財政処分」(第七一条) の制度もありました。
 そして、このような憲法上の緊急権規定のもとに、治安維持法や国家総動員法、徴発令、兵役法、戒厳令など、無数の治安立法・有事立法が整備され、国を守るという大義名分のために国民の人権を抑圧し、国民を戦争に向けて統制していく多くの法令がつくられたのでした。

 

 その結果は、どうだったでしょう。政府の戦争政策に反対する国民の声は封殺され、日本は、満州事変・日中戦争そして太平洋戦争へと、破滅に向かって突き進んでいったのでした。
 このように、国家緊急権制度が完備されていたにもかかわらず、いや、むしろその故に、日本は、誤った政策の選択を自ら修正することもできず、危機がさらに危機を招く道をひたすらに進み、国民に莫大な犠牲を強いることになったのです。

 

 これは何も日本だけの話ではありません。隣の韓国の歴史は、軍事クーデターと戒厳体制の歴史であると言われています。韓国の現政権もその前の政権も戒厳令の中から生まれたものでした(注:本稿が発刊された1984年当時の「韓国の現政権」は、光州事件で知られる全斗煥政権。ひとつ前は1年で終わった崔圭夏政権であるが、この文脈での「その前の政権」とは、もう一つ前の16年間に及ぶ朴正煕政権を指している)。
 その他、インドネシア、タイ、フィリピンなどの東南アジアの諸国やチリ、ポーランドの例を見ても、戒厳という国家緊急権制度が、実際は、国民を守るためではなく国民の自由を抑圧して時の政治権力者の政権維持のために使われている例は枚挙にいとまがないのです。

 

 国家緊急権の制度は、一時的にせよ、権力を行政部に集中して国民の人権を大幅に制限することを内容とするものですから、もともと乱用のおそれがきわめて大きいものなのです。しかも、どういう事態になったら緊急事態として国家緊急権を発動するかは、ほとんどその時の政治権力者の判断にゆだねられているのですから、なおさらのことです。

国家緊急権は本当に必要か

 現在の国家が直面するかもしれぬ緊急事態は、外敵や国内暴動によるものだけではありません。大災害、経済恐慌、食糧危機などの方が、むしろ現実性が高いのです。しかし、これらは、軍事カ中心の国家緊急権では全く対処し得ないのです。
 また、外敵に対しても、日本の軍事力をいくら増強したところで百害あって一利もないことは、第一章で述べたとおりです。
 国内暴動について言えば、それが大規模に起こるのは、国民に対する圧政が続けられた場合であることは、近代の市民革命、ロシア革命、韓国の光州事件などを見れば明らかでしょう。この場合に国家緊急権の行使がなされ軍隊が出動するということは、どういうことを意味するのでしょうか。

 

 結局、真に国家の緊急事態に対処する最善の方法は、国内的には、政府の政策選定が誤らないよう国民が常に監視できるための民主主義体制を強化することと、対外的には、積極的な平和への努力、この二つを通して、国外国内をとわず、どのような不正な支配にも屈しない国民性を国民の間につちかうこと以外にはないのではないでしょうか。

朝目をさましたら・・・・

 「10月17日の声明によって大統領はすべての政治的活動、そして新しい憲法に対する支持や反対に関するすべての活動を禁止した。しかし新しい改正憲法を『説明する』ための『啓蒙活動』はあるだろうということである。どこでも大きな旗がなびいている。新しい憲法の採択を促し、『十月維新』をほめ称え、『韓国式民主主義』を唱えるといった旗である。それにCIAと警察は『改革』を公然と支持するようにあらゆる種類の人々や組織にひどい圧力をかけている。新しい憲法に反対する『流言飛語』を流したというので刑を言い渡された人々に対する報告が毎日入ってくる。・・・・・日本統治以来初めて民衆は全般的にいうことに注意し、個人どうしでなければ状況について語り合うことを欲しないようになった。」(「韓国からの通信」より 注:1972年10月17日、当時の大韓民国大統領である朴正煕が発表した「大統領特別宣言」のこと。国会の解散や政党・政治集会の中止などを決定し、韓国全土に非常戒厳令を発して独裁色を強めた。)

 人々が目を覚ましたときには、すでに自分たちの住む都市全体が軍事制圧下におかれていた。
 夢でも幻想でもなく、現実に起きた事実なのです。韓国やポーランドの事態をみても、ハンガリー動乱や「プラハの春」をみても、民衆にとって恐ろしいのは、第一に自国の軍隊であり、第二が同盟国の軍隊、そして第三に軍隊が支配する有事体制なのです。

 

「人びとが目を覚ましたときには、すでに憲法は存在していなかった・・・・」

 私たちのうえにこういう事態を許さないために、今必要なのは、一人ひとりが現実を客観的に冷静に見直してみることです。日本の歴史を、外国の現実を、自衛隊が何をするものであるかを、そして何をしてきたかを。
 それから、静かに考えてみることです。本当に軍隊は必要か、有事立法は必要なのか、そして、それらがじつは何を守ろうとしているのかを。