ボランティア雑感◆語り手としていま語りたいこと
ボランティア・語り手の会会員  井戸 早苗





  自分が生きている間にこんな場面が・・・。憲法を無視して大軍拡・敵基地攻撃能力を持つ と閣議決定し、米国大統領との初会談の手土産だという。平和憲法をもつ国民を無視し、歴史を学ばない首相に恐怖を感じる。

戦争体験を語る井戸さん

  1945年8月15日、アジア太平洋戦争終結。アジアで2000万人、日本で310万人の命が奪われ、各国は焦土と化した。
  私は戦争の中で生まれた。6歳の時には空襲が激しくなり、空襲の度に、兄は学童疎開、父母は防火要員となっていたため、私はたった一人で町内の防空壕へ避難した。暗い中淋しくて心細くて…。戦後は食べる物にも苦労をする、たいへんな生活を体験した。ピースあいちの語り手の一員として、子どもたちに「私の戦争体験」を語りながら、聞いてくれる子どもたちが私のような体験をすることのないように願ってきた。

  しかし、今・…。
  少子化、生活物資の高騰や医療・福祉の現場を無視して、軍拡で5年間43兆円を使うという。軍備品は維持にお金がかかり、破壊しつくす物でしかない。このままいけば米・中国に次ぐ世界第3位の軍事力を持つ国になってしまう。この「軍拡・増税」について、国会はもとよりテレビや新聞でも大論議しないのか…。報道規制を敷いているのではないかと心配だ。

  昨年12月に市内の高校で「私の戦争体験」をお話させていただく機会があった。戦争の体験を語るとともに、今このことを切に話している。
 「戦争は一度起きたら止まらない。平和を維持するためには話し合い、平和外交しかない」と。

  ピースあいち初代館長の故野間美喜子さんが書かれた「平和憲法と共に生きて」の“結びに”を紹介します。

 憲法会議が生まれて50年、その活動を担って、長くて険しい護憲の道を歩まれた方たちに、心からのお礼と敬意を表したいと思います。これからもその活動は終わることなく、ますます期待されるものになるでしょう。
 私は今、名東区にある戦争と平和の資料館「ピースあいち」の館長をしています。先の戦争のことを知る人は少なくなりました。しかし、あの戦争は、多くの犠牲上に残された20世紀の負の遺産であり、戦争の記憶を次の世代に伝えることは20世紀に生きた人間の責務だと考えています。政権政党が平和憲法を変えることを「悲願」としている日本が、再び戦争する国にならないためには、あの戦争の記憶は残された最後の歯止めになるのではないかと考えるからです。共にがんばりたいと思います。