今月のピースあいち◆来館者アンケートから

                                           
 

 5月はピースあいちの誕生月です。多くの方にご来館いただきたいと広報に努めています。アンケートを読むと、玄関前の掲示板を見てとご近所の方が、テレビや新聞の報道や地下鉄などでチラシを見てと県下各地から、HPやツイッターで知ったと遠方からもお越しいただいていることが分かります。

沖縄復帰50年について考えてみたいと思っていたところ、貴館が展示案内をしてくださる館入り口の掲示板にてお知らせくださって、ありがたく思っています。少しは沖縄戦のことを知っていたつもりでしたが、あまりの悲惨な事実の数々に言葉がありません。(61歳女性)

近所に仕事があり、その合間にようやくうかがうことができました。小学6年の時、修学旅行で広島の平和公園に行きました。「ガラスのうさぎ」を読んだり、亡くなった早乙女勝元さんの書籍も読みました。沖縄には未だ行ったことがなく、「沖縄展」を拝見し、いつか訪問したいと思っています。(52歳女性)

改めて沖縄の屈辱の歴史を知りました。(74歳女性)

沖縄戦、中学校の授業では習わなかった。知らない事、知らされていない事が多くあり勉強になりました。(70歳女性)

沖縄のこと、知らないことばかりで展示を拝見し感動しました。1945年に生まれた私は、新聞やテレビ、本などでは、見たり聞いたりはしてきましたが、驚きと悲しみです。沖縄には20年前に行きましたが、もう一度行きたいです。(76歳女性)

今ウクライナやロシアの報道が毎日、朝・昼・夕に伝えられていますが、当初戦争が始まった時の雰囲気と現在3ヶ月経過の中で、戦況ばかりが話題になり、どう戦(いくさ)を終わらせるかの平和への対応策の議論がされず、武器の強化ばかりで残念。沖縄のことも、返還されたのではなく、日本全体が沖縄化されてきている今、もっと自国の対応、9条を生かし、守る取り組みが大切と思います。(71歳女性)

ウクライナの戦争が続くことが心を痛める中、ふとピースあいちさんのことを思い出して、HPを拝見しました。地震の企画展に関心があり来ました。三河地震のことは10年くらい前に名大の減災館の企画で見たこともあったのですが、改めて戦争と災害のこと、情報の大切さという展示を見ることができました。(59歳女性)

東南海地震、三河地震の詳細を知りたいとインターネットで企画展のことを知り来ました。当時の愛知県下の戦禍に重なった地震であり、隠され続けたことを忘れてはならないと感じました。(23歳男性)

主人が小学3年の時、縁故疎開先の安城市桜井村で地震に遭った話を折に触れ話します。今も地震の恐怖は消えず、自宅も地震に強い鉄筋にしたほどです。辛いこと、地震のこと、焼夷弾の恐ろしさ、今日こうして見せていただき、彼の味わった苦痛、言葉の深さを少しでも理解できたことをありがたく思います。(79歳女性)

生前1929年生まれの母から、戦時中、女学校にもいかず半田の中島航空機で部品を作っていた話を聞かされました。防空壕に逃げ遅れて亡くなった担任の先生の話、ものすごく大きな地震だったのにニュースにもならなかった話、両親に死んだと思われていて「よく帰ったな(生きていたな)」と言われた話など、数え切れません。工場の崩壊の写真を見て、初めて母の話が現実のものとなりました。(71歳女性)

戦争も震災も時がたてば人は忘れてしまうもの。しかし、そうであってはなりません。語り継いでいくことは、たいへん価値があります。貴館の活動が今後末永く続くことを願います。(61歳男性)

名東区に越してきて12年、いつかは行こうと思っていて、ようやく来ることができました。最近のウクライナのニュースを見て、平和を守ることの大切さと難しさを日々感じています。展示されている資料、特に戦争に至る歴史や空襲のことは、今まである程度知っていましたが、戦争中の地震のことはあまり知らなかったので、知ることができてよかったです。情報が隠されていたことが被害を大きくして、また戦争をさらに拡大していったことがよく分かりました。私の年代は戦争を経験していませんが、親や周囲の大人たちから戦争中の話をよく聞きました。そういう機会の少ない若い人たちに、こちらの展示を見てほしいと思いました。(67歳女性)

「戦時下の地震」。すばらしい企画をゆっくり拝見しました。企画の最後に「キーワードは国策―戦争という国策と原子力政策という国策がクロスする地点に立ち」という言葉が胸にひびきました。本当に今、私たちがしっかりしないといけない、岐路に立っていると思いました。米軍などが東南海地震の翌日には正確に報道していた事実など、始めて知りました。(72歳女性)

太平洋戦争末期の大地震の件は、親から東南海地震については少し聞いたぐらいで、三河地震については口にしたことがなかったように思う。どういう被害があったのか知らなかった。今回展示を見て、この被害の大きさを知った。改めて戦争という時に、その時の権力者は都合の悪い情報を隠したがるのだと感じた。報道管制の故に情報もなくなり、救護活動が遅れ、死んでいった人のことを考えると、当時の政府の情報統制は許せないものだと思う。(60歳男性)

よくできていて、自分の子どものころの思い出と重ねて見ました。帰って妻と話し合いたいと思います。東南海地震時は外で遊んでおり、ゴーというものすごいうなり声と共に南方から波のように地面がうねってきました。歩けず立ってもおれず、おもわず木にしがみつきました。三河地震は岩倉市では揺れが小さく思えたけれど、翌朝20本ほどの神社の灯籠が全部倒れていて驚きました。戦時中につき情報が統制されていたこと、集団疎開の児童、工場における学徒らの被害、軍需生産を優先して軍事機密優先が被害を高めていることがよく分かりました。(85歳男性)

昔、あまりにも幼くて記憶が定かでなく、赤いランドセル(もっと赤かったように思えたが)を友に引っ張られ、破れてしまった記憶が悲しく思い出されました。やっぱり紙でできてたんだと思いました。戦争は残酷で、何もわからないような子どもさえも死んでいく。決してすべきでないと思いました。(82歳女性)