ボランティア雑感◆日々雑感
ボランティア  峯澤 叶美

                                           
 

 何や、かやと言い続けながら、コロナ禍での二度目の夏を迎えています。エスデェジーズとか、テレワーク、ソーシャルディスタンスなどカタカナ文字の溢れる中で、皆々様は日々どのようにお過ごしでしょうか。
 片道1時間半のピースあいちへの道のりが不安で、半年以上ボランティアに行けていません。他の人との直接的な出会いがどんどん遠ざけられ「触れる」「匂い」とかが体感できなくなり、言葉自体も死語になってしまうのではないかと案じられます。

 

 また一方では、情報技術が驚異的な速さで革新・進歩し、常にリアルタイムで個人が露(あらわ)にされているような状態になっています。
 そして、マスクをし忘れてしまったりした時とか、身近な場所などのクリーニングをついうっかりスルーしてしまった折など、他人の目よりむしろ、知らず知らずのうちに自分に同調圧力をかけたりしてしまう。そう思いながらも、常ならぬ普通(コロナ前までの)でない中で暮らしていて、日を重ねる毎にそれが日常になっていってしまう。“非日常”の日常化ということでしょう。

 

 このように大切な人、物、事への直接的なかかわり合いが希薄になってゆく中で、私はといえば、家に止むを得ずではありますが、コロナ禍であるが故に“仕事不履行”という大義名分を得て、今までのいろんな束縛からいささかの解放を感じています。
 ステイホームにおいて“アル中”ならぬ“テレ中”“読書中”という、ささやかな安住の地を得ていることも認めざるを得ません。不埒にもそうした中で、そこはかとなく、よしなしごとを思いあぐねている昨今であります。