今月のピースあいち◆来館者アンケートから

                                           
 

5月4日はピースあいちのお誕生日でした。2007年5月4日、ピースあいちはオープンしました。今年で14年目です。今月は、大学の授業でと学生の方が、おじいちゃんと一緒にお孫さんが…と来館していただいています。

風船爆弾について初めて学びました。椙山(学園)の女学生も戦争に関わっていたと知って、恐怖感と同時に、戦争を身近に感じる、考えさせられる機会になりました。オリンピックのお話は、2021年の東京オリンピックをみる目が変わりました。(21歳女性)

今日は、名古屋大空襲について特に関心を持って見させていただきました。私の父親は兵役で、その当時は千葉県にいたそうで、名古屋で空襲にはあっていなかったとのことです。母親は尾張旭出身で当時学生で、軍需工場で働いて、空襲警報が鳴ると防空壕に逃げ込んだとのことです。そういった話も子どもの時よく聞かされていましたが、ここで実際の写真やデータで確認すると、その恐ろしさを改めて実感できました。(65歳男性)

東京大空襲は知っていましたが、名古屋がこんなに何度も空襲を受けていたとは知りませんでした。人が人を殺すことは国の命令なのです。国と国との争いで何を得るかという? 現在も世界の国々が、仲良く手をとりあって生きていくにはどうしたらいいのか? 私一人では無理ですねえ。(68歳女性)

ここに来るといつも、平和の尊さを実感します。1年ずつ戦争が過去のものとなっていき、戦争を知らない人が日本の中にもどんどんと増えていきます。世界中で行っている戦い争いは自分たちとは遠い世界のことだけど、日本もその時代があったこと、次世代へ伝えていかねばならないです。(58歳女性)

大空襲展を孫に見せるためにきました。2階(常設展)とセットで見ないと子どもにはなかなか実感できないと思いました。スポーツと健康で文化的な営みは、平和であればこそ実現することを孫とともに心に刻みました。(78歳男性)

今年で戦後76年。大人の大半も「戦争を知らない子どもたち」。私もその一人であることをあらためて認識しました。体験していなければ、「戦争とは何なのか」を実際に語り継ぐことはできないかもしれません。しかし、戦争を知らない我々にもできることはあるでしょう。「二度と戦争をおこさない」ことです。本日こちらを訪れてそう感じました。(49歳男性)

東京オリ・パラが近づくなか、このようなタイムリーな企画展で貴重な資料等、多数展示していただきありがとうございました。個人的には、沢村栄治さんのコーナーにとても注目していました。近鉄・宇治山田駅(伊勢市)から、歩いて5分程度の明倫商店街のなかに、石碑ですが生家跡がありました。昔の大ピッチャーで、もう少し長生きできていれば、と思う大投手です。(51歳男性)

戦争とスポーツの関係は、高校の国語で軽くふれただけだったけど、敵国のスポーツはやるべきではないという風潮があり、日本式にしたり、有名なスポーツ選手も戦死したなど、はじめて知ることが多かったので、すごくいろいろ考えさせられた。(18歳女性)

企画展が良かったです。オリンピック選手であった軍人の方や、戦死されたスポーツ選手をもっと取り上げられると、若い方たちも想像力を働からせ、身近に感じることができるかも。(52歳女性)

高校生の頃、修学旅行で被爆経験者による講和を聞きました。それと類似している部分があり、興味深かったです。被爆(戦争)の苦しみや辛さを感じることができました。(18歳女性)

今までアメリカから日本への影響ばかり考えたり知ったりしていたけど、日本も中国などに対して悪いことをやっていたと知りました。スポーツと戦争の結びつきも知ることができてよかったです。(18歳女性)

今まで、歴史の授業などでしか戦争と空襲について学んでこなかったため、今日ピースあいちで実際に焼夷弾を目にしたり、戦争中にもオリンピックが行われていたり、多くを知り学ぶことがありました。ジェンダー問題など差別問題はなくなっていません。差別問題なども少しでもなくなれば良いと、強く改めて思うきっかけになりました。(21歳女性)

普段こういったお話を聞ける機会はないので、とても貴重なお話を資料を見ながら聞けて良かったです。戦争についてこれからも考え、伝えていきたいです。(21歳女性)

私よりも小さい子が、亡くなった妹か弟をかかえているのをみて、とても心が痛みました。何度も泣きそうになりました。昔があるから、私たちはいるんだと強く思いました。これからは、何かがんばれないことがあっても、今日のことを思い出して、心を強く生きていこうと思います。(21歳女性)

「戦争とスポーツ」展の孫基禎さんの展示、心に残りました。名古屋市焼失地図も、こんなに焼き払われたんだと思いました。実家のある南区(東海市との境あたり)も爆弾が落ちていたことがわかりました。(60歳女性)

父と母は昭和4年生まれと3年生まれですが、戦争についてほとんど話すことがなかったし、名古屋の空襲についての話はあまり聞いたことがなかったので、この機会にぜひ名古屋空襲について知りたいと思いました。体験された方の生の声が特に印象に残りました。(64才女性)