◆所蔵品から◆資料ナンバー741 「サンデー毎日」1938年7月3日号
 東京オリンピック座談会の話 
資料班



「サンデー毎日」1938年7月3日号

「サンデー毎日」1938年7月3日号 裏表紙・表紙

 ピースあいちで2021年4月からはじまる企画展、「戦争とスポーツ」に関連する資料を探していて見つけたものです。
 今から81年前、1940年のオリンピックは東京で行われるはずだったのですが中止になりました。その関連で「東京開催決定」と「中止」を伝える雑誌の記事がないかと探している途中で見つけました。
 1938年7月3日発行のサンデー毎日です。

「サンデー毎日」1938年7月3日号

「サンデー毎日」1938年7月3日号 「オリンピック東京大会を語る」

 今月ご覧いただきたいのは座談会「オリンピック東京大会を語る」です。
 東京大会開催返上が同じ1938年7月なので、返上直前の座談会ということになります。
 

「サンデー毎日」1938年7月3日号

「サンデー毎日」1938年7月3日号
「オリンピック東京大会を語る」座談会出席者

 座談会出席者がこちら。

「サンデー毎日」1938年7月3日号 「サンデー毎日」1938年7月3日号

「サンデー毎日」1938年7月3日号
「オリンピック東京大会を語る」座談会出席者

 出席者の写真もあります。奥の方、床の間の前の上座に座っているのは大日本体育協会理事長の「末広嚴太郎氏」(上の写真)と、オリンピック事務総長の「永井松三氏」(下の写真)です。
 会場は「芝公園なにはや」。「なにわや」でしょうか。芝公園というのは今は東京タワーの近く(というか足元)なのですね。
 下の写真、向かって右から2人目が「横光利一氏」。文芸家と紹介されています。1936年のベルリンオリンピックを現地で見ています。

「サンデー毎日」1938年7月3日号 「サンデー毎日」1938年7月3日号

「オリンピック東京大会を語る」より

 「日本の特異色」をどのように出すのか、「演出家」の役割が大きい、という所から話が始まります。
 次にスタジアムの建築について。予算、材料等の制約があることと、どのような建築にするのか決めるためにも「プロデューサーの中心があってほしい」ということが出てきます。
 いい演出のためには、いい選手をそろえることが何よりも重要という話も出てきます。ここでいう演出は開会式・閉会式のプロデュースというよりももっと広く、大会を成功させるには、という意味が入っているようです。

「サンデー毎日」1938年7月3日号

「オリンピック東京大会を語る」より

 科学技術の方面からの話。「新興科学日本の科学の威力」という方面で「日本らしさ」を表現したいという話です。
 ベルリンオリンピックでは、「ドイツ自身のサイエンスの魂」、具体的には「アンプリファイヤー」をたくさん使った音響設備でアナウンスの音を大きくした、という話が紹介されています。
 オリンピックに使われる科学を、① 設備に関するもの、② 審判に関するもの、③ 通信に関係するもの と3つに分類しています。とくに通信部門、テレビジョンとか写真の電送について研究を進めているのだそうです。

「サンデー毎日」1938年7月3日号

「オリンピック東京大会を語る」より

 「観衆の訓練」について。
 観客の「行儀が悪い」のは何とかならんか、みたいな話をしています。「マイクロフォンを通して指導」をしているのだとか。とくに水泳の試合では、「(選手の)女子たちに恥ずかしい思いをさせるような発言があってはいけない」。
 また、雨が降りだしたときに着物の観客が「ワーッと立ち上がって散る恐れがあるから」雨が降っても席を立つなというようなことをポスターに書けとか。ロゴ入りの雨よけ(かっぱみたいなもの?)を売ってはどうかとか話が盛り上がっています。
 関西人は行儀が悪いとか、田舎からくる観客はいつもの競技会の観客とは「違う層」だとか、この辺は微妙に失礼なトーンで会話が進んでいきます。

「サンデー毎日」1938年7月3日号 「サンデー毎日」1938年7月3日号

「オリンピック東京大会を語る」より

 ベルリンオリンピック開催に至る苦難の道のりが、次のテーマです。
 「1936年ベルリン大会がちょうど日本と同じような非常時のもとで行われ殊に世界的な反対があったに拘らずそれをヒットラー総統が転回した」「世界のスポーツマンを共鳴さしてドイツの文化を称賛させたのではないかと思う」
 ドイツも国際情勢と経済の逆風を乗り越え、オリンピックを成功させているので日本も続け、というような話になっています。

「サンデー毎日」1938年7月3日号

「オリンピック東京大会を語る」より

 この座談会が行われたのは1938年7月です。日本国内にはオリンピックに反対する意見もありました。大陸で戦っている若者たちがいるのに今オリンピックじゃないでしょう、というような意見です。
 それに対しては、「オリンピックは非常時に際しても開かねばならぬという力強い感銘を与える四か条ぐらいの標語を拵えられたらどうだ」「宣伝する必要がある」というような意見が出ています。

 80年以上前のことなのに、今にも通じる点があるように思いました。演出のプロデューサーが大事というところとか。女性アスリートに対するセクハラとか。非常時に、困難を乗り越えて開催するのだ、と言っているところとか。


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