「名古屋大空襲の朝」
ピースあいち語り手 津田 さゑ子            

                                           
 

名古屋大空襲の朝




 私が七歳まで元気に育った 名古屋の ど真ん中の町が
 一夜のうちに焼失した


 一九四五年三月十九日の未明
 町中に空襲警報のサイレンがけたたましく鳴った
 B29は轟音を撒き散らし 低く並んで現れた


 着の身着のまま寝ていた私に
 「急ぎなさい!」と母の声がせかす
 リュックと水筒を横掛けに 防空頭巾をあわててかぶり
 走って外に出て見れば いつもとは全く違うその光景


 遠くに炎が立ちのぼり 人のざわめく声がする
 物干し台から見ていた兄が
 「防空壕にはいかないで早く逃げろ」と叫んでいた
 家族が揃う暇はなく 示し合わせた場所目指し
 急いで家を後にした


 広い通りに出て行くと 真昼のような明るさで
 大きな荷物を背負った人や リヤカーや大八車を引く人が
 南へ北へと急ぎ行く


 二歳の妹をおぶった母は 重い乳母車を押して
 必死で歩く私を気遣う
 一番上の兄は 宝物の自転車を あえぎながら引いていたが
 大好きな父と姉 学童疎開から帰ったばかりの二番目の兄達とはぐれてしまった


 焼夷弾は容赦なく 炎は町をなめまわし
 焼けたトタンが宙に舞う
 大きい火の塊が飛び出せば 小さな火の粉は雨あられ
 ビュービュー熱風が吹き荒れた


 小さな私は疲れ果て 眼鼻口はカラカラだ
 家族が落ち合うその場所は 建物疎開の町の跡
 先に避難した人々は 肩を寄せ合ってしゃがんでいた


 二番目の兄とは奇跡的に出会い
 布団をかぶった姉も来て うれし涙が頬濡らす
 だが父の姿はいまだ無く 怖さと心配で眠れない


 東の空が明けはじめ 霧の中に太陽が
 白く静かに浮かんでいた


 我が家に戻るその道の 立木はどれも黒こげで
 そこには小鳥はとまれない やさしい歌も唄えない
 目にうつる有り様は どこまで行っても焼け野原


 姉の指さす彼方には 四角に残る松坂屋
 ふと後方に目をやれば 大きなお椀を伏せたごとく
 真っ赤に崩れたその姿は 大須観音の燃えた塔


 とぼとぼ我が家に近づくと
 くすぶり続く焼け跡に 呆然と立つ父の影
 人違いではと確かめて 目と目を合わせ ただ涙
 父の大きな両手が温かかった


 そこへ父の旧友が 知多の方から自転車で尋ね尋ねて
 真っ白な心のこもったおにぎりを お見舞いとしてくださった
 皆は美味しいと言ったけど 私の口はパサパサで
 それでも心が軽くなり 海苔の香りにほっとする


 けれどこれから何処に行く
 今夜は何処で眠るのか
 父と母は思案顔 途方に暮れて立ちつくす


 私の心は空っぽで 悲しい思いがつのるだけ
 姉の新しいオルガンや 兄の大切な本箱も
 私の大事な雛人形 みんなみんな炭と灰


 何時か誰かが言っていた
 この戦争は神風が吹いて日本は勝つのだと
 でも全てを焼きつくし 大人も子どもも動物も
 みんな苦しさに耐えていた


 これが戦争ということなの?
 なぜ戦争はおきたのか
 子どもの私にはわからない


 私は国民学校一年生
 あの大空襲を境にして大好きだった友達や 厳しく優しい先生方に
 一度も会ったことはない


絵はがき

子どもたちに戦争体験を語る津田さん

 私の町は焼け野原
 怖くて寒い朝なれど
 東区のおばの家目ざし
 家族揃って歩き出す


 つらい戦争は続いていて
 八月十五日のあの日まで
 笑顔の消えた朝でした