8分間で消えた2000人のいのち
「熱田空襲」展示の見どころー「なぜ」を考える
「熱田空襲」展示チーム

最初のキーワードは「時計」
6月9日「熱田空襲」は愛知時計電機と愛知航空機をねらった米軍の空襲でしたが、わずか8分という短時間で名古屋空襲最大の2000人を超える犠牲者が出ました。
3月5日から始まる企画展では、この空襲の疑問をみなさんと考えます。最初のキーワードは「時計」です。そこでクイズです。
1. 「名古屋は時計づくりが盛んな街だった?」みなさんは知っていましたか?
2. なぜ名古屋で時計生産が盛んだったのでしょう?
3. なぜ時計メーカーが兵器を生産したのでしょう?
4. なぜ「愛知時計」という会社が航空機を生産したのでしょう?
5. なぜ時計メーカーが米軍から狙われたのでしょう?
6. 熱田区千年には「愛知時計電機」という会社が今もあります。
現在、作っているものは何でしょう? ヒントはみなさんの家にも必ずあると思いますよ。
日米資料で明らかになってきた事実
こんな疑問を解き明かしながら、次に「熱田空襲」の実態を資料や写真でみていきます。1944(昭和19)年12月から1945年8月まで名古屋とその周辺に、米軍は何度も空襲をしました。兵器を生産している軍需工場には主に爆弾で攻撃をしました。工場の無い住宅や商業地域には焼夷弾を使って、街全体を焼き払うこともしました。
米軍は名古屋空襲で、多い時には300機のB29爆撃機(500機の時もありました)を動員して爆弾や焼夷弾を投下して、軍需工場を破壊して、名古屋の中心部を焼き払いました。それでも、6月9日「熱田空襲」を超える犠牲者は出ていません。
「熱田空襲」で米軍が動員したのは41機のB29でした。上空で爆弾を投下した時間は8分間でした。にもかかわらず2000人以上の人々が犠牲になっています。これまでの空襲と何が違っていたのか、日米資料で明らかになってきた事実と、愛知時計電機株式会社提供の写真で「熱田空襲」の実態にせまります。そして日本への空襲で初めて使われた2トン爆弾の大きさを実感できる展示も用意しています。
当時の記憶を描いた戦争体験絵
当時愛知県警察部警備隊員で6月9日の空襲直後に現場で救助活動に当たった方が、当時の鮮明な記憶を戦争体験絵として描いておられました。それらの貴重な戦争体験絵が安城市歴史博物館に保管されていることが分かりました。今回、その一部をお借りして戦争体験絵を展示します。救助者の目で見た「熱田空襲」とはどんな空襲だったのか、見る人に「絵」は伝えてくれます。
2人の体験者の証言ビデオ
さらに、「熱田空襲」を体験された二人の方の証言ビデオを用意しています。2階常設展示室のビデオコーナーで視聴することができます。今回の「熱田空襲」展のために新しく制作されたビデオで、ピースあいちでも初公開するものです。ぜひご視聴ください。
証言者の今井美代子さんは1926年生まれで現在92歳。当時金城女子専門学校(現金城学院大学)に通っていましたが昭和19年の夏ごろから愛知航空機へ勤労動員で行っていました。「熱田空襲」の6月9日は、通勤の乗換駅で空襲警報が出、出勤を取りやめ九死に一生を得ました。
もう一人の証言者、中野見夫さんは1939年生まれで現在80歳。熱田区八番町のお寺で生まれ育ちました。国民学校一年生でしたが病弱のためほとんど学校には通えず、お寺のなかでの生活でした。そのお寺に空襲でケガをした人や亡くなった方が次々と運ばれて…「死体のなかでの生活でした」。
さまざまな慰霊の碑を訪ねて
「熱田空襲」は現在どのように伝えられているのか、空襲のあったことを伝える地蔵尊、慰霊碑、モニュメントなど(工場のあった熱田区千年や千種区平和公園内)を訪ねてみました。これまでにも紹介されてきましたが、慰霊碑の文字に正確さを欠くものもあり、一つ一つ確認してきました。毎年6月9日には愛知時計電機会社関係者、御遺族によって今も慰霊祭は続けられています。

東邦高校美術科生徒さんの作品展示
今回の展示には特別に、東邦高校美術科の生徒さんの作品が出品されます。昨年、「熱田空襲」の体験談を学校で聞いた彼らが、それぞれの思いを作品として制作したものです。
東邦高校では毎年12月に、勤労動員で犠牲となった教師と生徒の慰霊祭が生徒会主催で行われてきました。慰霊祭が行われる正面玄関には、1944(昭和19)年12月13日三菱発動機(東区大幸町)の空襲で亡くなった教師2名、生徒18名が刻銘された慰霊碑が建立されています。
12月13日は名古屋が初めて空襲に遭った日です。この日工場とその周辺では330人の犠牲者がでました。そのうちの20人が東邦高校の勤労学徒と教師でした。昨年、同校の生徒会は名古屋市議会に「名古屋空襲慰霊の日」の制定を請願、市議会で審議されました。
*今回の展示にあたり、愛知時計電機株式会社、安城市歴史博物館、至学館大学、東邦高校美術科、東邦高校生徒会、今井美代子さん(証言者)、中野見夫さん(証言者)、平岩潤さん(ビデオ制作)の御協力をいただきました。