平和のための博物館・市民ネットワーク全国交流会
福島県白河市に行ってきました ボランティア  加藤有子



アウシュヴィッツ平和博物館

アウシュヴィッツ平和博物館パンフレットより
第1展示棟・第2展示棟

 第15回平和のための博物館・市民ネットワーク全国交流会が、2016年10月29日・30日に福島県白河市のアウシュヴィッツ平和博物館で開催されました。
 毎年ピースあいちのスタッフも参加しています。今年の2日間の交流会のレポートをしたいと思います。
  交流会のプログラムはこちら




アウシュヴィッツ平和博物館について

第3展示棟

第3展示棟

 アウシュヴィッツ平和博物館へは、新幹線の新白河駅からタクシーで向かいました。
 広い敷地の中に古民家を移築した第1展示棟、レンガの壁の小屋の第2展示棟、貨物列車の車両の第3展示棟があります。
 「アウシュヴィッツの記録」、「レスキュアーズ・勇気ある人々の肖像展」、企画展示「南京・閉ざされた記憶」パネル展(第1展示棟) 、アンネ・フランクの展示(第2展示棟)、「子どもの目に映った戦争」(ポーランドの子どもたちが描いた戦争中の体験)(第3展示棟)が展示されていました。
 第3展示棟の横を過ぎてさらに歩いていくと、原発災害情報センターがあります。



原発災害情報センターについて

原発災害情報センター

原発災害情報センター

  「福島の原発災害について 多くのみなさんに関心を持っていただきたい 科学的に正しく理解していただきたい  その願いをこめて、このセンターを設立しました。」(原発災害情報センターのウェブサイトより)
 「アウシュヴィッツ平和博物館の姉妹館」の位置づけです。
 2014年5月に市民からの寄付金や市民のボランティアにより設立された施設です。
 今回の交流会はこの原発災害情報センターの多目的ホールで行われました。

白河市に着いた時

写真 写真

 名古屋駅から、新幹線を乗り継いで3時間余り。新白河駅前の街路樹はすでに紅葉していました。10月下旬の名古屋では、まだそれほど木の葉の色は変わっていなかったのです。さらに、名古屋の方ではまだ咲きかけだった菊の花が、こちらでは満開。交流会の受付のデスクに理事長さんが置いて下さった鉢植えの菊も、きれいに咲いていました。
 

原発災害情報センターで 1日目

写真 写真

原発災害情報センターに入ってすぐの貼り紙
津波の前後の写真(上→下)を並べて展示

 建物に入ってすぐのところには「センターの敷地・建物は除染をしました。平均放射線量は0.13~0.15μ㏜(マイクロシーベルト)/hです。」の貼り紙があります。
 その横では2011年3月11日の地震とそれに伴う津波の前後の写真を上下に並べて展示していました。



写真

 会場となった多目的ホールです。
 木の柱と「はり」と屋根裏の板。アウシュヴィッツ平和博物館の第1展示棟と同じく、こちらも古民家を移築した建物です。
 1日目、特別講演の途中です。

写真 写真 写真

「原発さえ なければ」壁

 1日目のプログラム(特別報告と、参加者からの発表・報告)が終わって、懇親会(夕食会)が始まるまでの間に、原発災害情報センターに新たに運び込まれた資料を見せてもらいました。
 「原発さえなければ」とチョークで書かれた壁です。
 「原発災害情報センターNEWS Vol.8 2016.3」によると、これは2011年3月11日の地震の後に「自死」した「酪農家」の「遺書」です。(表面を保護するため、コーティングをしてあるそうです。)
 


白河の夜空

写真 写真

原発災害情報センター多目的ホール

 懇親会では、スタッフの皆さんの用意した、おいしいお料理をたくさんいただきました。「こづゆ」という、貝でだしを取った汁物など地元のお料理もありました。なぜかビールはオリオンビール。地元のお酒も用意されていました。夜の会のために追加の照明をいくつも灯してくださっていました。
 窓の外はすっかり暗くなっています。街灯などもほとんど見えなくて、ほんとうに暗い。
 外に出たら、すごく寒かった。いくら東北に行くにしても厚着しすぎか?と思っていたのに。いっぱい着て来てよかった。上を見たらものすごくたくさんの星。2倍から3倍は見える。(写真には写っていません。 )最寄りの白坂駅まで歩き、東北本線で新白河駅の宿に向かいました。

2日目

写真 写真

原発災害情報センター 入口の花
多目的ホールから窓の外にアウシュヴィッツ平和博物館第3展示棟が見える

 白坂駅から歩いて原発災害情報センターへ。入口のところに返り咲きのアジサイ。魔女の帽子はハロウィンのイメージでしょうか。
 2日目は会場で皆さんの報告を聞くことができました。
 wamの報告では慰安婦に関する展示への抗議や爆破予告の話を聞きました。
 益子・関谷興仁陶板彫刻美術館は新しくできた館です。陶板の作品について話を聞きました。
 原爆の図丸木美術館からは、子どもたちへの取り組みとしての絵本の紹介がありました。「戦争は悲惨。二度としないように」という良い子の答えのその先へ、という話が印象的でした。
 第五福竜丸展示館の報告では、第五福竜丸のこれまでが語られました。カツオ船がマグロ船になって第五福竜丸として太平洋に出ていき水爆実験で被爆。そのあとも練習船に改造されて使われ続けるのがすごい。
 1967年に廃船になった後もエンジンはほかの船に積まれて使われていて、三重県の海で台風に遭い沈んだ後約30年間海中にあったのが引き上げられ、第五福竜丸展示館のそばに今はあります。傷みが激しいのでこの先心配。
 本体の方は「夢の島」近くの埋め立て地に放置されていたのが、今は第五福竜丸展示館に展示されています。
 第五福竜丸が木造船である、という話もびっくりでした。できたのが1947年。来年(2017年)で70年。こんな古い木造船が残っているのもまれだ、という話でした。第五福竜丸展示館は夢の島公園にあるので、たまたま通りかかる人も多いのですが、木造船(展示されている第五福竜丸)を見てどこやらの工作船かと思う人もいる、という話も面白いと思いました。