◆常設展から◆「加藤たづさん」を偲ぶ     
ボランティア 堀田 兼成



 加藤さんから最初に「資料館に寄附」の事を聴いたのは、お住い近くのスーパーで出会った時でした。私は突然のことで「大丈夫…そんな大金を…」と言いました。加藤さんは、「ええ、相手の方が、弁護士さんや大学の先生とか偉い人たちだから…」と言われました。でも私は不安でした。「そう、じゃあ、私もボランティアに行くわァ」と軽い気持ちで言いました。でも気になり、現地を訪れ、安堵したことを思い出します。その頃、私は2005年の「愛・地球博」でのボランティアリーダーの役目も終了し、ほっとしていた頃でした。

絵はがき

ピースあいち玄関壁に埋め込まれたたづさん自筆のプレート

 加藤たづさんは、「ピースあいち」に、土地300㎡と1億円を寄贈された方です。名古屋市港区にあった三菱重工の軍需工場で空襲を受けました。戦後、結婚わずか10ヶ月で夫を亡くし、看護師や洋裁教師などで、昼夜懸命に、必死に働いて得た貴重な土地とお金です。

◇たづさんにまつわるエピソード

 1.たづさんの名前がなぜマスコミに出なかった?
  ・2005年10月22日付中日新聞では「84歳女性、寄附申出!!」
  ・それ以降の新聞記事から
   「県内の女性・篤志家の多額・86歳の女性・個人から寄附・津島の女性…」
   最後まで、住所等は明かされませんでした。ご本人の強い意志で、目立たず、控えめ、そして一人暮らしのため、防犯面等も配慮したものです。

 2.加藤さんからの手紙
  2007年3月27日、いただいた手紙。縦5.5cm・横12cmの小さな1枚の粗末な紙片です。(今では、紙は茶色に変色しています)
   「お元気の事と存じます。 
   資料館の案内を送りました。
   見に来てください。 加藤」(現物は縦書きです)
  「OPEN」のタイトルのチラシ1枚が同封されていました。質素な加藤さんの日常生活の一端を垣間見た思いでした。

絵はがき

2007年5月4日
オープン当日のたづさん
(1921年~2014年歿)

 3.「戦争資料館 来月4日開館」
  (中日新聞・2007年4月27日付)
  「加藤さん、新聞に大きく出たよ」と交通事故にあい入院中の加藤さんの病室に駆け込むと、「新聞が欲しい」と言われました。病院内の売店にはなく、当時まだ少ないコンビニで探し、やっと2部入手しました。「部長先生や看護師さんなどに見せたい」と喜んでいただけました。あの時の笑顔は忘れられません。本当に心から安堵された時だったと思います。二人で手を取りあって喜びました。
  当時、私は加藤さんに「ピースあいち」でボランティアをする事など一言も言わないで驚かそうと秘密にしていました。オープンの日、ピースあいちに来られた加藤さん、私を見て「びっくりぽん」の顔でした。
  その後、ボランティアの日、「ピースあいち」の玄関の右壁足元の「永遠の平和を 加藤たづ」のプレートに「おはよう」といって入館しています。(亡くなられてからは、心の中で手を合わせています。)

絵はがき

加藤たづさんから野間館長に送られた平成20年の年賀状。