実物資料はモノに非ず 運営委員 河原 忠弘
1月18日、ボランティア勉強会で、事務局長の宮原大輔さんから「8年目のピースあいち―平和博物館の可能性」と題するお話を聞きました。その中で、他の博物館などから拝借した資料の取り扱いについて、紛失盗難はもとより、傷めないよう細心の注意を払っているという、一節がありました。それに関連して思いついたことを記します。

昨年の夏企画「戦争と若者―断ち切られた命と希望」展の準備に私も参加してのことです。あの展示の中に特攻隊員上原良司がいました。彼に関する展示資料は実物ではなく、ご遺族から直接頂戴した複製でした。実物資料は拝借できなかったのです。私は実物にこだわり、再三お願いしたのですが、ご遺族からは「ごめんなさい、それはできません」というご返事でした。それには、以前に貸出して、紛失や破損という事故があったからという理由がありました。私はそうしたことが起きないよう万全の対策を講じると申し上げましたが、お許しを得られませんでした。
遺品の主であった上原良司本人は、「たくさんの人に観てもらいたがっているはず」と勝手な理屈をつけて、もう一度お願いしようと考えました。しばらくチャンスをうかがっていましたが、ハタと気づいたことがありました。それは、私たちにとっては単なる「貴重な資料」なのですが、ご遺族にとっては、「遺品」だということです。さらに、彼の遺骨は遺族のもとに還っていないのです。したがって、われわれが資料としているモノが、ご遺族にとっては遺骨と同じくらいに大切なものだ、ということです。それに気づいてから、重ねてのお願いはできませんでした。

同様のことが木村久夫についても言えそうです。木村久夫の「遺書」は最近まで門外不出であったし、遺書と見なされてきた田辺元著「哲学通論」の余白への書き込みも、ジャーナリストの有田芳生氏が遺族宅で書き写して昨春web上に公開するまでは、その全貌は知られていませんでした。上官の罪をも負って戦犯として刑死した木村の遺骨も、ご遺族のもとに還らなかったようです。それゆえに、ご遺族は「遺書」「哲学通論」とも久夫の遺骨に代わるものとして門外不出にしていたと思います。
そうしたことを考えると、私たちが扱う実物資料は、所蔵品、借用品を問わず、たんなるモノ資料ではないと分かります。「使っていた人、作った人」を感じ、多くを想像させてくれるそれらは、あるじの実在を示す証であり、あるじと向き合うまたとない仲介役なのです。
戦争が歴史記述の一部として、試験問題の対象として憶えるだけのものになりつつある今、それらの資料と向き合うことで、参観者が自ら戦争の当事者に近づけるよう、展示での工夫をし、また、展示中は十分注意を払いたいと思います。