◆常設展から◆防毒マスク(防空用防毒面)
運営委員 赤澤 ゆかり
第一次世界大戦で大量に使用された化学兵器(毒ガス)はあまりに非人道的であるとして、1928年、戦争での化学兵器や生物兵器などの使用禁止を定めた国際条約「ジュネーブ議定書」が発効しました。したがって、第二次世界大戦で化学兵器が正式に使用されることはありませんでした。
…はずなのに、「ピースあいち」には防毒マスクがたくさん展示・収蔵されています。必要なかったものが、たくさんあるのはなぜ?と、ずっと疑問に思っていました。
そこで、昨年末から今年にかけての「所蔵品展2014」の展示計画に参加したとき、防毒マスクを担当して調べてみました。

防空用防毒面 本土が空襲されるようになると、「防毒」どころではなくなった。
防毒マスクは、1937(昭和12)年に施行した「防空法」により、各家庭に備えるように指導されました。「防空ト称スルハ…灯火管制、消防、防毒、避難及救護…」と、防毒が重視されています。ちなみに、「防弾、防火」が追加され、「避難」が禁止されるのは1941年の改正時です。
防空法の制定当時は、国民は日本が空襲されるということにリアリティが持てず、制定の数年前から行われていた防空訓練も、衆議院本会議(1937年3月23日)で「子どものわるさ」と言われるようなものだったようです。
防空用防毒面の取扱書のモデルはなぜか決まって「女子学生」です。写真週報や当時の防空訓練の写真にも、女子学生が防毒マスクを付けているものが目に付きます。その取り合わせはいかにも不気味で、非日常を感じさせます。
『検証 防空法』(水島朝穂・大前治著)には、「毒ガスの恐怖を強調して国民の危機感をあおることが、地域社会・市民の「下から」の動員をはかり、管理・統制する上で効果的と判断されたようである。」と記されていますが、そう考えると、「防毒マスクを付けた女学生」というシュールな画像は妙に説得力があります。
一方で、日本陸軍は1929(昭和4)年から広島県の大久野島で大規模な毒ガス製造を開始し、後に中国戦線で使用しています。同じように自国でも使用されるのではないかという恐怖もまた、持っていたのではないでしょうか。
それにしても、展示・収蔵されている防毒マスクは、「内務省検定済」と書かれているものでも、「これで毒ガスが防げるの?」と思うものばかりです。国民学校の工作の教科書にも「防毒面の作り方」が載っていますが、本当に小学生手作りのマスクで毒ガスが防げると考えていたのでしょうか。
いや、目的はほかにあって、実際の毒ガス攻撃が防げなくても別にかまわなかったのではないか。そう考えると、防毒マスクからも、先の戦争の怖さ愚かさが見えてきます。