「戦争と若者―断ち切られた命と希望」展を顧みて 運営委員・2014夏企画プロジェクト 河原 忠弘
先の戦争から70年、その体験者は少なくなった。そしてこの間、平和憲法の下で若者を戦場に送らずに済んできたが、今の政権は「積極的平和主義」と称して、海外でも同盟国と共同して戦えるように「集団的自衛権行使」を容認する閣議決定をした。
「これでよいのか?」と、有事には過酷な体験を最も強いられる若者に問いたい。これがかつて死と向き合った若者たちの心象を展示する動機であった。だからこそ、戦死者を「お国のため殉じた尊いもの」として軽々に、勝手に賛美することがないよう、また彼らは犠牲者ではあるが、同時に侵略・加害の協力者の立場におかれていたことも忘れないよう、はやる気持ちをおさえつつ、事実に拠って等身大の表現をすることに心掛けた。

『きけわだつみのこえ』の学徒の手記、豊川海軍工廠勤労動員少女の遺品、信州の無言館所蔵の画学生の作品を展示の柱として、昨年末に準備を開始した。館長、事務局長を中心に十余名がスタッフとして参加した。東京、神奈川、長野、京都、豊川のミュージアムや遺族のもとへ出かけた。スタッフメンバーにとって、それは戦争の追体験であり、怒り、悲しみを受け止めながら緊張しての取材であった。そして会議を重ね展示内容を具体化していった。
予算が少ないので借用する資料の荷造り運搬も自前のメンバーでやり遂げた。説明パネル原稿書きは皆で分担し、それを一括して校正を担当した人もいた。会場設営、ポスター、チラシのデザインをした人もいた。広報やチケットの前売りなどに多くの人が頑張った。全員の協力で日曜日に開館もできた。ツイッターを開いてくれる人も現れて、それでより多くの来館者を迎えることができた。「ピースあいち」のボランティアの力が見事に結晶した。
展示の構成にあたっては、具体的なモノ資料を使って登場者の生きざま、息づかい、心情が伝わるように努めた。「ピースあいち」の展示は、1階の「現代の戦争と平和」は、20世紀・今世紀の戦争と平和運動の世界史の展示であり、2階の「十五年戦争」「愛知県下の空襲」「戦時下のくらし」は、日本の侵略、空襲被害、国家総動員などの実態を示したものである。そして今回、3階では戦時の若人の心象を、自身が遺したもので表わすこととなり、世界・日本・個人の三位一体で戦争を考えられる全体構成になった。
そうした関係づけを意識しながら観ることを、しばしば参観者にお奨めしてきた。そして展示にあるような何かを遺しえた若者はまれな存在で、アジア・太平洋戦争では何も遺しえなかった2千万人もの犠牲者がいたことに想いを馳せてほしいと訴えた。
『きけわだつみのこえ』からは、關口清の自画像に始まり、宇田川達の妻への手紙、巻頭に置かれた上原良司の遺書、巻末に配された木村久夫の遺書など9名が登場し、どれも観る者の心を揺さぶるものであった。ある人は、「どの遺影の目も私を直視しているようで、怖かった」と言った。そして「もう一つの学徒出陣」として朝鮮人学徒特攻隊員卓庚鉉を掲げ、大日本帝国への複雑な心情と彼等に対する処遇に想いをいたすコーナーを設けた。
「豊川海軍工廠」からは中野千鶴子、大林淑子の2人であり、いずれも、生徒としての生活ぶりと健気な軍国少女が動員先で懸命に働いていたこと、そして壮絶な爆死を示す遺品の展示であった。
「無言館」からは、鵜飼章、太田章など7名の、家族、故郷風景といった身近な対象を、急ぎ駆け抜けるように描き上げたであろう9点であった。また。添えられた山野井敏朗・龍朗兄弟、伊藤守正の手紙からは、遠くにある母、妹、兄弟への気遣いが伝わってきた。
これらに、名古屋市にゆかりがある愛知一中生で予科練に志願し特攻死した鈴木忠熙、軍需工場で爆死した渡辺哲男の2名が加わった。
準備がかなり進んだ4月末、木村久夫に「もう一つの遺書」があったと中日新聞が報じた。急遽これも追加することとした。8月15日に中日紙は「もう一つの遺書」こそが、真正の遺書であることを発表した。これまで「遺書」とされてきた『きけわだつみのこえ』掲載文は、『哲学通論』余白への書き込みの手記と真正の遺書を組み合わせて編集したものであり、手記の一部が削除され、加筆もあったことが判明した。削除部分は、軍部・上官への批判が主な内容であることも分かった。
さらに8月28日『真実の「わだつみ」』が刊行され、カーニコバル島事件、戦犯裁判、『わだつみ』に掲載までの経過が示された。しかし「削除」の理由は分かっていない。「歴史の語り方」(戦争責任追及はホドホドにとの心情)の問題が関わっているように思えるが、いかがであろうか。
亀岡敦子さんは、講演「特攻隊員上原良司が遺したもの」で、良司の故郷安曇野の土地柄、家族、生立ち、自由主義思想形成過程を、丹念に語られた後、特攻出撃前の67日間に焦点をあてて話された。良司が妹と志江に告げた「死んでも靖国にはいないから」、近所のおばさんの「良チャン死ぬない(死ぬんじゃないよ)、死ぬない」という離別の言葉を紹介し、亀岡さん自身の特攻についての受け止め方、「散華ではなく戦死」「英霊ではなく戦死者」「偶像ではなく人間」を聴講者に投げかけるものであった。
長野県からの4名を含め64人の聴講者があった。良司の妹、清子さん、と志江さんからいただいたメッセージ―(「良司兄が遺したものがこれからの平和に役立つことを願う」という趣旨の)をお伝えすることができた。最後に亀岡さんは、「個人の体験を正確に語り継ぐことが一番大事です。私たちは記憶をつくりだしてはいけません。上原良司という人の姿を克明に知ることで、戦争で亡くなった何千万人の姿が浮かび上がってきます。それが戦争の実相です」と結ばれた。
7月22日から8月末日までの開催期間中の、来館者総数は1,919人であった。昨年の「はだしのゲン」、一昨年の「原爆の図」に比べ、テーマは地味であったが、これだけの人に観ていただけて嬉しく思っている。展示が当初のネライに十分達したか否かを測ることはできないが、参観したある人は「嗚咽を抑えながら観た」といい、女性が涙でハンカチを濡らし、青年はしばらく呆然と佇む、といった光景がしばしば見られた。
「文字が多くて読み切れない」というご意見があったが、他方では「遺書、遺品に加え説明文があるためやむを得ない」「説明文はよく練られ短くする工夫が感じられる」といったご意見もあった。この展示を「お蔵入りするのはもったいない」「他の地域の若者にも観てもらいたいので貸出・巡回展示版ができると良い」といった意見もある。
今回のこのプロジェクトで初めて準備作業を経験した人、若い人の活躍が目立った。これで「ピースあいち」の力量が一層増したと言ってよく、心強く思う。
総じて、この企画展は大成功だったと言えよう。
私はプロジェクトを代表する立場にいない。独断で書かせてもらった。異論があるかもしれないが、お許し願いたい。
なお、今回、高校生、大学生、母親たちが多く観てくれた。また、丹念にパネルを読んでくれた。アンケートに答えてくれる人が何時になく多かったが、そこでは展示に関する感想よりも、改憲、集団的自衛権行使に反対する意見が目立った。それらは別項「今月のピースあいち・来館者アンケートより」に掲載されている。