戦争と若者展を終えて-資料の借用を中心に   ピースあいち事務局長・学芸員  宮原大輔

          
   



ちらし

戦争と若者展(2014年7月-8月)ちらし

 タイトル「戦争と若者展」が決まるまで

 本年の夏の企画となった「戦争と若者展」の構想は、「学徒出陣」をテーマにすることから始まりました。2012年夏の「原爆の図展」が終わり、次の企画を検討し始めた頃のことです。2013年夏をめどに「ピースあいち」で「学徒出陣」の企画展を開催できないかと、「わだつみのこえ記念館」に資料の貸し出しや協力の打診をしましたが、2013年は学徒出陣70年の年にあたり、行事が控えているので困難であろうとの意向でした。そのため、さらに1年後の本年、満を持しての企画となりました。
 「戦争と若者」というタイトルは初めから決まっていたわけではありません。学徒出陣をテーマとして検討していくにつれ、戦争と若者につながる対象が学徒出陣だけではないことが浮かび上がってきました。立命館大学国際平和ミュージアムの企画展で展示されていた、学徒勤労動員中に空襲を受けて亡くなった女学生のセーラー服のこと、東京新聞ブックレットに取り上げられていた13歳の戦死者大林淑子のこと、さらに長野県上田市の戦没画学生慰霊美術館「無言館」の絵画のことです。「わだつみのこえ」にこれらを加えていくことになりました。
 これらの資料が今どうなっているのかを調べなければなりません。立命館大学国際平和ミュージアムでは学徒勤労動員で軍需工場に勤務中に空襲で被災した犠牲者の遺品がまとめて所蔵されていることがわかりました。セーラー服は愛知県の豊川海軍工廠に勤務中に亡くなった中野千鶴子さんのものでした。他に三菱重工名古屋航空機製作所に勤務中に犠牲になった渡辺哲男さんの遺品もありました。大林淑子さんの遺品は豊川市桜ヶ丘ミュージアムが所蔵していることがわかりました。
 そこでこれらの所蔵館を訪問して該当資料を見学して、貸し出しの可能性を探ることになりました。本年1月にわだつみと立命館、2月に桜ヶ丘、4月に無言館を訪ねました。幸い4館とも資料の貸し出しは可能であるとの返事を得ました。
 企画展ができそうです。そこで改めて4館の資料をつなぎ合わせて一つの企画展としてのイメージを練り上げていったときに「戦争と若者展」というタイトルになったわけです。

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戦争と若者展 展示

 


資料借り入れと新たな資料の発掘

 このような経緯の結果、「戦争と若者展」では4つの館から資料を借りることになりました。わだつみのこえ記念館から、戦没学徒兵10人の遺書、手紙、手帳、ノートなど15件27点、立命館大学から、中野千鶴子さんの衣類、カバンなど11点と渡辺哲男さんの雑のうや腕章など6点、桜ヶ丘ミュージアムから大林淑子さんの日誌、歌集、書など17件18点、無言館から9作品と手紙などの遺品4件11点です。いずれも一次資料(原典)であり、貴重なものです。
 なお展示としては、わだつみ関連で、スタッフが上原良司の実家を訪ねて、ご遺族から家族を含む生前の写真や遺書の複製写真(プリント)を多数提供いただき、また朝鮮人学徒兵の関係では中央大学に残る当時の文部省から大学に下された朝鮮人学徒の志願を強要する文書(画像)を提供いただきました。また「ピースあいち」に寄贈されていた、15歳で志願し、16歳で戦死した地元名古屋の愛知一中鈴木忠煕(ただひろ)の遺品、遺影も展示に加えられました。

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封筒、ラベル、段ボール台紙、薄葉紙

 


 資料の梱包(紙資料・布資料・ガラス瓶ほか)

 問題は借用にあたり、梱包、運搬をどうしたらいいのかということです。美術館や博物館では通常、梱包、運搬は運送会社の美術梱包の専門部門に依頼します。美術梱包を使えば、壊れやすいものでも安全に梱包し、運んでくれます。また貸し出しの条件として美術梱包を使うこととされる場合がほとんどです。
 しかし、美術梱包を使えば1館で数十万円はかかります。しかも東京、京都、長野上田、豊川と遠近取り混ぜての4館です。費用のことを考えると、「ピースあいち」では美術梱包を使うわけにはいきません。今回の企画展の最大の難関は、この梱包・運搬をどうするかという点でした。それではどうするか。自分たちでそれをやるということです。
 資料を借りに行く際に、貸し出し元は資料を揃えてくれていますが、梱包作業は借り手側がその場で行います。借用の当日は、梱包材料や運搬用具を準備して臨みます。
 今回の資料は、紙資料と布資料に大別できます。
 紙資料では、チケットや名刺のように1枚もの、1枚ものでも半紙に書かれた書のようにやや大きめのものもあります。遺書や手紙のような数枚の便箋および封筒、手帳やノートのような製本され厚みのあるもの、書籍などがあります。どれも戦時中の紙製品ですので、70年以上経過し、破れやすく、折れやすいので、慎重な作業が求められます。
 紙資料はまず、保護のために薄葉紙(うすようし=非常に薄く軽い紙)で包みます。薄葉紙は全判のほかに資料に合わせて半裁や4裁にしたものを用意しておき、さらに現場で適当な大きさに切って使います。次に薄葉紙で包んだものが折れたりしないように、資料の1点ごとにそのサイズに合わせた封筒を用意し、封筒の中には、封筒の大きさに合わせて切った段ボールを入れておきます。薄葉紙で包んだものをこの封筒に入れます。封筒の表には用意しておいたラベルを付けます。

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戦争と若者展 中野千鶴子さん資料展示

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薄葉紙、薄葉紙で作ったひも、綿布団

 布資料には、立命館の中野千鶴子さんのセーラー服やもんぺ、かばんなどがあります。セーラー服やもんぺは何カ所も破れがあり、また折り目がついていて、その部分が弱くなっています。かばんの帯はちぎれそうなくらい、ぼろぼろの状態です。

 布資料には綿布団を使いました。綿布団とは、木綿綿を薄葉紙で包んだものです。資料がつぶれないように、資料の内側に入れて形を保つためのものや、資料を外側から包むためのものを資料の形状に合わせて用意しておきました。今回は綿を布団屋さんで購入することから始めました。
 資料ではこのほかに、中野千鶴子さんのガラス瓶、ピンセット、下駄などがありました。この中でもガラス瓶は注意が必要でした。割れ物ですし、口にはコルク栓が付いています。ガラス瓶に合わせた綿布団を用意しておき、紙紐(薄葉紙を裂いたもの)での梱包としました。


 4館へ、資料借用の旅

 このようにして包装したものをどのように運搬したらよいか。わだつみと立命館は新幹線を使って人手で運ぶことにしました。包装したものを段ボール箱に納めて運びます。段ボール箱の内側には綿布団を2重に敷き、資料を包むようにしまいます。資料のサイズや点数を考慮して段ボール箱を用意しました。これを大きめの風呂敷で包みました。
 車輪の付いた運搬用ケースも検討しましたが、振動の問題があるので、人手で丁寧に静々と持ち運ぶのがいいだろうと考えたからです。両館とも箱2個となりました。1人が1個として2人での作業です。運搬中にぶつけたり、転倒したりしないようにしなければなりません。私とK1さんの二人で行きました。
 桜ヶ丘ミュージアムの場合は車での運搬を認めていただきましたが、運搬中、学芸員が片時も資料から離れないことや、館から館に直行することなどの指示がありました。車の振動に対して、毛布などのクッション材を使うという対策も採りました。車でしたので、私のほかSさん、K1さんに協力いただきました。
 梱包の際に大事なことがもう一つあります。資料のコンディションをその場で1点ごとにチェックし、借用リストに書き込むということです。借りたときの状態を記録するためです。写真に、このあたりに破れがあるとか、汚れがあるとか、細かに記録します。こうして借用リストを作成し、サインして先方に渡します。

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展示作業 無言館の絵 (写真手前に木枠が少し見えます)

 無言館からは9作品と手紙などの遺品が14点です。当初の考えでは、ワゴンタイプの乗用車を使う予定でしたが、作品のひとつが縦1655×横1270mmと大型で、しかも木枠に入っていてさらに大きいことがわかりました。作品は立てた状態で運ぶことが基本ですので、予定していた車には積めないことがわかり、アルミバントラックを使うことにしました。レンタカーを借りました。クッションの毛布や固定用のゴムバンド、紐類も必要です。
 木枠に入った作品が2点、ダンボールケースに入った作品が7点です。
 朝の8時過ぎに「ピースあいち」を出発して、お昼前に到着、昼食の後に無言館に入りました。収蔵庫の近くにトラックを着け、すぐに積み込みました。遺品類は梱包の用意をしておきましたが、先方の収容ケースに入った状態のままで運ぶことになりました。帰路はトラックのばねの硬さから、路面の変化で車が跳ね上がるのを気にしながらの運転となりました。
 大きな作品は重量も大きいため、男性のYさんにご協力いただき、運転も交替しました。交渉担当のK2さんと3人でのドライブですが、トラックに乗っていて、背中に作品を背負っているみたいで、信州の風景を楽しむ余裕はありませんでした。

 借用の旅は会期の10日前から始まり、1週間ほどの間に4館を訪ねることになりました。



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開梱作業  

 開梱、そして展示作業

 借りてきた資料は、会場設営の日までは、施錠ができて、空調が効く部屋に保管しました。
 会場設営は、梱包の逆の作業になります。したがって借用に行って、梱包を行った人が開梱作業をします。この際に、会期後の資料返却では再梱包をしますので、布資料の折りたたみの状態など必要に応じて梱包状態を撮影し、また梱包材料などを再び使えるように残しておくことも重要です。特にラベルが役に立ちますので、外れないようにしておきます。
 今回の会場設営では、わだつみ、豊川、立命館の3館、すなわち展示の第1部、第2部を先に行い、最後に第3部の無言館関係の展示を行いました。3館の資料の展示と、絵画作品の展示では、作業内容が異なるからです。
 展示計画図面に従って資料ケースの中に配置し、キャプションを添えていきます。

図面

展示計画図面 

 

 こうしてオープンを迎えました。会期中は温度、湿度の管理に気を配り、また作品の安全面から、観覧者に注意を呼びかけることも必要です。そして作品に事故はなく、無事に40日間の会期を終えることができました。



 再び、資料返却の旅

 展示会が終わったら、展示会場の撤収と資料返却があります。8月31日に会期が終了し、第1部(わだつみ)、2部(立命館、豊川)の資料梱包を翌9月1日に、3部(無言館)の作品梱包と全体の撤収を2日にと、分けて行うことにしました。
 この場合も借用、梱包を行った人が返還の際の梱包を行いました。梱包作業は返還の際の手順もイメージし、梱包でもあり返還のリハーサルでもあります。
 梱包が済んだら、返還の日まで施錠して保管しておきます。
 返還の旅は9月3日豊川、5日わだつみ、8日無言館、11日立命館というスケジュールでした。
 返還の際は、借入れの逆のことを行うわけですので、梱包、包装を解きながら、先方の館から資料や作品を1点ずつコンディションチェックを受けていきます。どの館も1~2時間の作業になりました。全点のチェックを終えると、借用書が返還されます。借用の責任から開放されるわけです。
 最後に、協力にお礼の言葉を述べ、また、開催レポートや会場配布物を渡して帰路に着きます。肩の荷も降り、このときの気分が晴れやかなのは言うまでもありません。1カ所を終え、2か所を終え、と進み、全4館を終えました。


 今後につながる有益な体験として

 どの館からも、「丁寧に扱っていただいた」との言葉をいただきましたので、一挙に4館から借りるという大変な計画でしたが、無事に終えることができたのだと思います。
 今回の経験は、これからの他館との資料の貸し借りに有益なものを残しました。また7月にかわら美術館への資料貸し出しの際に、先方の学芸員さんと美術梱包の方々が「ピースあいち」に来て、作業をされましたが、プロの作業を見学し、交流できたことも大いに役立ちました。