常設展から●731部隊とエイズ問題 ボランティア 鹿 島 顕 二
2階常設展示に「731部隊による細菌兵器の人体実験」という恐ろしいタイトルのパネルがある。「731部隊」とは「関東軍防疫給水部」の秘匿名で、中国東北地方(当時日本は満州国と呼ぶ)ハルピン郊外平房に設置された生物化学兵器の研究・実験施設である。ここでは、ペスト菌、コレラ菌、炭疽菌等の生物化学兵器の生体実験や生体解剖が行われていた。その実験材料にされたのは、約3,000名もの中国人、朝鮮人そして一部ロシア人等であった。彼らは「マルタ」(matter=材料からきているとする説)と呼ばれ、A・B・Cのランクに分別され、Aランクの健康体の者にはペスト等伝染病細菌を感染させた後、Bランクに下げられ凍傷の実験に使われ、最後にCランクに下げられ毒ガスや火災放射器の実験に使われた。

展示パネル 731部隊
この結果得られた実験データーは、本来あり得ないデーターだけに「極めて貴重なデーター」になった。また、「マルタ」は全員殺されており、彼らの証言が取れない事、日本の敗戦が決定的になってくると731部隊長石井四郎中将(軍医)は部隊全員に「ここで知り得た事は墓場まで持ってゆけ」と厳命し、施設を徹底的に破壊し証拠隠滅をはかった事が全容解明を遅らせる原因となった。
このようにして作成された「貴重なデーター」は、敗戦後、アメリカの知るところとなり、石井四郎隊長らの戦争責任(人体実験をした極めて重い人道上の罪)を免責するかわりに「データー」をアメリカが入手することとなった。
免責された731部隊の幹部達は、戦後日本医学界の重鎮になった者が少なくない。また最高幹部だった北野政次達は、朝鮮戦争勃発直後「日本ブラッドバンク」という血液銀行を設立し、731部隊の開発した凍結乾燥血液を米軍に売り莫大な利益を得、さらに1964年には「ミドリ十字」と企業名を変え、アメリカから大量の血漿輸入をしたが、その中にエイズウィルスが混入しており、1982年には血液製剤が原因でエイズ感染の事実を知っていたのにも関らず、厚生省の認可のもと86年まで輸入販売し続け約1,800名のエイズ感染者を生み出した。
戦争責任を曖昧にする日本の風潮が生み出した悲惨な事件の1つである。
派生事項→家永教科書裁判第3次訴訟
→明治大学登戸(のぼりと)平和教育研究資料館(2010年開館)