地球を走れ『はだしのゲン』 坂東 弘美

2009年7月広島で英語版全10巻出版パーティー(中央は中沢啓治氏)
各国語の翻訳者が各自の言語で台詞を言いました。
「世界中の国々も、広島・長崎に感謝せんといけんわい。核兵器の恐ろしさを知ったんじゃけえ…」
左からイタリア、タイ、英語、中国語、ウクライナ語、ロシア語、朝鮮語、ポーランド語
1990年に「チェルノブイリ救援中部」という日本の市民グループの代表としてチェルノブイリ原発事故の被災地を訪ねた私は、400万人の人々が汚染地から移住しなくてはならないのになすすべがなく、そのまま暮らしている状況を目の当たりにしました。
被災地の人々を励ますさまざまな企画でロシア語のボランティア通訳が必要になった時、金沢の7人のお子さんを育てあげた浅妻南海江さんが協力してくれました。彼女は原発と核の問題を考える時、広島と長崎に原爆が落された事は誰もが知っているけれど、その実態、その後に続く悲しみを知っている人は日本でも少ないし、外国の人たちにはなおさら知られていないことに気付き、「プロジェクト・ゲン」を立上げ、『はだしのゲン』のロシア語翻訳から始めました。
なぜ『はだしのゲン』だったのか。それは彼女が子育てのプロだったからでしょう。私が思うに「未来を生きる子ども達に深い愛情をふり注いでいたお母さんだから、そういう発想が出た」ということだと思います。

ニューヨーク マンハッタンで反核デモに参加(2010年5月)
その後、彼女は大勢の方の協力で英語版出版も成功させました。世界から次々とボランティアで翻訳したいという要望が来て、今では22ヶ国語に翻訳出版されています。今年6月広島でゲンが発表されて40周年の記念イベントが3日間にわたって行われました。
ペルシャ語に翻訳したイラン人のサラさんと、初期の英語版出版に関わり、新しい英語版にも協力したアメリカ人のアランさんが握手していたシーンは忘れられません。朝鮮語に翻訳したキムさんも韓国では3万セット、30万冊売れていて、韓国の子ども達は、皆ゲンが大好きだと報告してくれました。
私たちはゲンによって繋がった、国家の垣根を超えた世界の市民グループになれました。「作品の持つ力だよね。こんな日を夢みてきたんだよね」と、浅妻プロジェクトゲン代表はいつも言っています。

2013年6月ゲン40周年記念イベントで
中国語、朝鮮語、ペルシャ語 英語、英語、ロシア語の翻訳者集合
ゲンの翻訳には、当初のロシア語の時から見守ってきましたが、私は中国で仕事をしたことがあり、今、遅まきながら北京にいる中国人の5人の若者達と『はだしのゲン』の中国語訳に取り組んでいます。来年には出版したいというのが、現在の大きな夢です。ゲンは「麦のように生きろ!」と泣きながら、怒りながら、笑いながら、いつも私たちを励ましてくれています。