初めての四国遍路旅                    ボランティア 野原 良和



絵はがき

  昨年の手術で頓挫した四国八十八ケ寺を巡る遍路旅。体力がどんどん下がっていく自分を見つめ早く実行せねばと歩行速度、食堂の位置、宿泊所などを考えてシミュレーションをして工程計画を立て直しました。父の法事を終えて5月22日の出発と決めました。前々日に往きの切符を買い求めると踏ん切りがつきましたが今少し緊張が続いて、ドキドキしているようだ。

  名古屋駅を23時に高速バスは阿波徳島を目指しましたが、なかなか寝付けません。淡路島の緑PAの休憩で目が覚めたので少しは眠ったようだ。JR徳島駅には5時に着いた。2階席のためか、寝不足のためかわからないが、少し足がふらつく模様だ。JRのトイレですっきりさせコンビニでサンドとおやつを買い込みベンチで朝食をとり一番札所の最寄駅までJR切符を買った。でも「天気も良いし、さあ行くぞ」と「不安」とが交錯している自分に気が付いた。坂東駅から一番札所霊山寺までの15分間は前も後ろも人がいない。境内の店も門前の隣の店も閉まったままだ。30分待って7時に店は開き、遍路用品を揃える。
  ぞろぞろと4組ほどがやってくる。杖、菅笠、頭陀袋に名前を書き、さらに納経帳と納札にも名前を書き込んだ。先ず白衣を着て第一の霊場に向い門前を写真に収め、山門で合掌一礼して入山する。本堂、太子堂に詣り、お経を唱えるのであるが振り仮名により教本を棒読みすると照れのためか少し寒いぼが出てきた。第一番霊場では売店の納経帳には御朱印が押され寺号も書き込まれていた。何かすっきりしない気分を立て直し遍路道を歩き始めました。二番極楽寺まで1.5Kmを緊張し周りをキョロキョロしながら歩いていると老女が「接待」として缶ジュースを渡してくれた。名刺代わりの納札を差し出すと寺に納めてくださいと断られた。間もなく陽気な外人が「接待、接待」と言いながら百円硬貨を差し出してくる。お返しにさっきのジュースを差し出した。逆打ちなのか、「あと少し」と言いながら急いで歩き去った。

  青空のもと鴬の声を楽しんで歩いていると一匹の猿が道に出てきたのでカメラに収めた。金網やビニール製の網が畑を囲んでいる、なるほど、なるほど。極楽寺境内には樹齢1200年の長命杉がそそりたっていた。50分ほどで三番霊場金泉寺に辿り着いた。弘法大師が寺の境内に井戸を掘ると水が湧きだし村人には黄金の水に見えたという。徳島工業短期大学を過ぎ畦道を進むと番外霊場愛染院に着き御朱印をいただいた。
  昼に近いので「萌月」といううどん屋に入った。500円の釜揚げうどんは腰があり汁(つゆ)が美味かった。汗も引き標高75mの登り坂に臨んで大日寺までがきつい。四番大日寺には西国三十三観音霊場の観音像が回廊に安置されていた。初日から暑い日で2kmほど下ると休耕田から突然「キジ」が飛び立った。羅漢堂には横から入った。五番霊場地蔵寺の奥の院のようだ。入場料を払い五百羅漢像を見学した。受付のおばさん夫婦がソラマメを剥いていた。供え物とはいえ相当の量だ。冷凍保存するといいながら伊予柑を剥いて接待を受けた。暑く、汗をかいた後にはとても美味しかった。今日最後の寺は地蔵寺でお詣りを済ませて門前にて宿の位置を地図で確認していたらバイクのおばさんが六番への道案内をしてくれた。これで風呂に入れると思う気持ちで浮き浮きしてきた。でも3.5kmの道のりはきつく疲れが出てきたのか何度休憩しても足が速くならない。ヘヤーサロンで宿を確認すると、あと500m位の所に看板が見えると言う。宿に5時に着き、玄関に入る前に杖を洗ってくれた。金剛杖は弘法大師の化身とも言われる所以がわかった。徳島から3万歩、一番霊山寺から25,412歩で約15kmは歩いたことになる。先ず風呂に入る、やれやれだ。初めてのこととはいえやはり緊張しているようだ。ビールで落ち着かせ、翌日の準備をして、洗濯機を借りた。6時半の夕食はカリフォルニアの女性二人とフリーターの青年の4人でした。お医者さんの娘さんで妹の方は内科の医師で姉はあとから医学部を受け直した医学生だった。トレッキングがすきで日本人の父に四国遍路と北海道旅行を進められたという。キャンプをするための荷物が大変そう。

  ぐっすり眠り爽やかな朝だ。今日は六番から十番までの予定で7時40分に出発した。30分余りで六番安楽寺に着いた。宿坊の宿泊者には長寿湯という薬蕩を利用できるという。次に「目に霊験のある十楽寺」に参詣し熊谷寺を目指す。山門より上の参道に辿りついても小高い山を登ることとなった。500年以上前に彫られたという大師像は拝むことができない。帰りには豪壮な山門の仁王門を潜り九番法輪寺を目指す。法輪寺には涅槃像が安置されているが御開帳時のみ拝観できるようだ。今日も暑い日で休憩所内で上半身裸になり汗を拭いているおじさんもいた。昼も過ぎ、さっそく門前の草餅を食べようとするが売り切れていた。うどん屋も閉まっていた。小豆洗い大師を通過し腹も空き足も重くなり無料休憩所で一休みする。接待のお茶が冷たく美味い。700mで90m上がる切幡寺の参道に着くや宿で紹介してくれた「須見光栄堂」(表具師)に荷物を預けた。驚いたことに前日の医学生二人が切幡寺の帰りに休憩をしていた。今日最後の切幡寺で家族全員の祈願をして、空腹でも気分はすっきりした。最後の333段の階段は厳しく苦しい。女人成仏の寺で本尊は千手観音である。3時半に山を下り何度も休憩し1時間で宿に着いた。でも須見光栄堂のおばさんには「焼山寺まではあなたの足では無理だから徳島へ戻りバスで寄井まで行ったほうがいい」と言われた。翌朝の状態を見て判断することにした。一風呂浴びて夕食前にビールで乾杯する。

接待の額のしわに頭たれ
急げどもまだかまだかの大日寺
伊予柑の接待受けるや羅漢堂
遍路宿カリフォルニアの医学生、日本を足で見届けるかな
休暇取りサラリーマンの遍路旅、果てし無くも意味深く進む
二日目に数珠を摺りて願を懸け、我身も家内も頼みける
阿波の空ウグイス優し遍路道、胸を冷やすや雉立ちぬ

つまらない俳句モドキをメモして爆睡となる。

  三日目、今日も快晴、旅館八幡を六時に立った。吉野川中洲の善入島ではコスモスが咲き向日葵も1m位に育っている。吉野川も水嵩が少ない。潜水橋を二つ渡り食堂を探すも見当たらない。少し扉の空いた仕出し屋を見つけ「お握り」を頼むが残念ながら作っていない。でもJAに出す寿司や弁当はたくさんあった。NHKの「海女ちゃん」を見ながら名物と言われた鯵寿司200円を頂いた。忙しい時間にもかかわらず親切に切って皿に移してくれた。頭の部分は残し昼の弁当に巻き寿司を買った。遅い朝食で結構うまかった。いよいよ十二番焼山寺へ向かって藤井寺を目指す。藤の花はすでに終わっている。参詣し門前の茶店でジュースを求め思案をしていたら、先達の「赤札」納札という大府町の人に会う。一緒に焼山寺へ登ろうといい歩調を合わせてくれる。寺からいきなり登り道で標高60mほど登り自動車道との交差場所で十分休憩を取るため赤札の人とは別れた。休憩時に愛媛の団体さんが賑やかにやってきた。学生時代陸上部員だったご老人も足が速い。2時間掛かって標高440mの長戸庵に辿り着いた。ここには女性専用のトイレが設けられていた。たっぷり休憩をして尾根道を進むとすれ違いの挨拶とともに「手術後の人でないかい」と問われびっくりする。大府の人から話を繋いできていたようだ。この先、「柳水庵の先は上り下りがきついため柳水庵に電話があるので進むか救援を求めるかの判断をされるように」とアドバイスなのか諦めるための宣告なのかわかりませんがご指導を頂いた。

  12時に長戸庵を出て1時に柳水庵に着いた。柳水庵を見下ろせるところからの下りがとてもきつい。ここでタクシーを呼んでなるものか標高745mの浄蓮庵を目指す。歩きながらも先達の声が思い出される。最後の500mは標高差160m登り一辺倒だ。お茶も少なくなったが汗だけが激しく吹き出る。「左右内」の一本杉に14時45分に着いたが写真を撮り、納札をするや焼山寺へ向けてスタートする。ここからは下りだ。滑り落ちるような感覚で標高差160mを一気に下る。県道との交差点左右内谷川にでた。地図で確認すると、もう一度50mを300mほどで下ると最後は2kmを300m登ることになる。お茶が無くなってしまい水なしで300mはきつい、しかし朝6時に出てあと少しの所だ。残りの巻き寿司を頬張りながら思案するも4時が近くなってきた。残念だが朱印を頂く門限の5時にはたどり着かないと歩くのを諦めタクシーを呼んだ。きつい一日だった。タクシーの道路利用料を払い、家族のことを祈願してから鍋岩荘までもタクシーを使った。風呂を上がったころ大府の人と医学生たちがやってきた。自分は焼山寺からのタクシーで追い抜いたようだ。ビールは悔しさでほろ苦いのか辛いのか良くわからない。民主党が政権を取る前の平成16年に菅元総理も宿泊していた。
 一本杉これより先は獅子落とし、一寸先も気を抜けぬ。コレゾまさしく遍路転がし 
 「不自由を常と思えば、不足なし」:TVで石原真紀子さんが発言していた

  7時に鍋岩荘を出るが医学生たちはもう出発していた。県道まで歩いて約1時間余、ショッピングセンターに寄りおやつとエネルギー補給のゼリーを買うも時間が余ったので神山町役場まで歩いた。鮎喰川を渡るころより国道沿いの草取りをしている。環境デーなのかな? バスに乗って大日寺と阿波一宮神社が向かい合っている一宮札所前という停留所まで行くことになる。国道から何度も旧道に入り狭く曲がりくねった田舎道を集落ごとに客を拾って走る徳島バスに感心させられた。また、「客が走行中に立ち上がり席を替わるとき」は運転手は「バスを止めて危険な行為である」と説明し、「必要なときには声をかければ停止します」と説明していた。1時間で一宮札所前に着き大日寺に参詣した。大型バスから大勢の人が流れ出てくる。境内は賑やかになり教文が響き始める。次に吉野川の支流鮎喰川を渡り十四番常楽寺を目指す。この川はかっては清流と鮎のメッカだったようですが水が枯渇して友釣りさえ出来ない状況になっている。断流現象も見かけた。天気がよく気温も高いので足もゆっくりになる。田園風景を眺めながら常楽寺に11時半に着いた。どのお堂も岩礁のような岩盤の上に建っている。歩きにくく身体障碍者には過酷に違いない。十五番は聖武天皇の命により建立された阿波国分寺である。境内は広く、過っての七重の塔の礎石だけが隆盛を偲ばれる。すでに徳島市内であり国府町の商店街の中に十六番観音寺が現れる。境内には石版の寄進額が一杯だ。2時になり中華料理店を見つけラーメンをたべた。店長に手術をしたことを伝え少量で油濃くない汁にしてもらった。久しぶりに美味いラーメンだった。JR徳島線の踏切を渡り十七番井戸寺に4時前にたどり着いた。朱塗りの仁王門を潜り今日最後の参詣で家族の願を懸け納札をした。今日参詣した大日寺を除いた寺は全て府中町(コクフチョウ)に在った。 松本屋さんではお接待として衣類の洗濯をしてくださった。宿泊は自分一人でゆっくり寛げる。夕食はトンカツと聞き、手術の話をして腸に優しいものにしていただいた。感謝、感謝。

ウグイスの声にこたえて足軽く、今日も楽しや願掛け弘法
明日にかけ飯より美味し般若湯、今宵もすがし遍路の宿
お接待の洗濯清し遍路宿、琴をつま弾くコクフ撫子

  朝4時前に目が覚め井戸寺へ散歩に出かけた。宿の主人が徳島へ行くなら徳島バスが井戸寺口から出ると言い7時20分に送ってくれた。40分ほどで徳島駅に着いた。時間に間があるので帰りの高速バスの切符を買い次回の20番、21番の勝浦町方面行きの時刻表も手に入れてJR牟岐線阿波赤石までの切符を買った。

阿波赤石駅:見つけよう相手と自分の良いところ

  恩山寺まで3.5Kmが結構遠い、地図で確認していたらオジサンが丁寧に教えてくれた。国道から分かれて田圃道にもコスモスが咲いていた。山門の少し先に糜爛樹(ビラン)が聳えている。女人禁制の寺を大師が解禁したという。

妻の杖借りて旅立つ遍路かな

  あと5kmで立江寺だ。竹林を登っていくと義経の弦巻坂にたどり着いた。峠を過ぎて郷中の遍路道を進み、ひなびた釈迦庵、浄土真宗の寺を過ぎ京塚を過ぎようやくコンビニを見つけ売れ残りのパンとゼリー状のビタミン剤を買い求めた。玄関の樹木の名前を聞いた。香りの好いのは「ニオイバンマツリ」という。山梔子(クチナシ)の香りに近く優しい香りがする。一昨日、昨日と庭に咲いている家の前でしばらく待っていても誰も現れないのでどうしても名前が知りたかった。ようやく名前がわかり、どこかで苗を買い求めたくなった。ようやく今回の遍路の最後の立江寺にたどり着いた。関所寺であったが難なく山門を踏み入れることができた。いろいろ邪心があるのにと苦笑いする。最後の寺なので家族の祈願をした。

  十九ヵ寺を5日かかって参詣できた。少しは満足感らしき感覚も湧いてくる。本当の信者でない自分を受け入れてくれているのかなあとも考えてしまう。今回の歩き編らは完結できた。そしてJR立江駅に向かう。同じ方向へ小型の自転車をオジサンが漕いでいる。駅らしきものが見えたころ電車が通り過ぎて行ったので40分待つことになった。駅のベンチで昼寝になる。徳島駅に16:07に着いたが名古屋行き高速バスには約7時間もある。コインロッカーへ荷物を入れて空腹を満たすものを探す。駅右の商店街にうどん屋がありタライうどんを注文するが一半もあるとかで「とろろうどん」に変更する。眉山に上るため新町川を渡り、てくてく行くが50年前に「阿波踊り」をどこで見学したのかわからない。ケーブルカーは5時半から千円が600円になるので乗り場横の展望レストランで缶ビールを注文する。山頂は左に淡路島、右に和歌山県をかすかに、真下に徳島市街を見渡せる。夜景を眺めるには時間が速いため駅前左の飲み屋街へ向かった。安兵衛に入った。カツオの刺身が美味い。最後にハマチの鎌が売り切れでカンパチの鎌を大皿に塩焼きで出してくれた。堪らなくうまい。でもドンカンの酒がちんちんで出てきた。文句を言っても徳利を変えるだけだ。少し興醒めだ。明治22年に十番目の市制を引いて現在28万人を擁する街だ。店を予定より早く出たので駅のベンチで時間をつぶす。静岡の二人づれは3日間で一番から焼山寺まで参詣したという。足が痛くて動く気がしないと言っていた。自分も肩、腰、膝、フクラ脛とも痛い。宿に4泊夜行バス2泊は今の自分にちょうど良いように思える。どこの宿も洗濯機を備えてあり着替えは最小限にすべきだった。高速バスは名古屋に5時28分に着き、あっという間の一週間でした。次回は第二十番鶴林寺から室戸岬経由で高知桂浜までの旅がしたい。念入りのプランを楽しもう。この旅により内モンゴルへ植林に行く体力があると確信できた。