私とはだしのゲン 「私のこと、戦争のことを忘れちゃあいけんよ」  池田 美恵子(天白区在住)



 
絵はがき

 原爆という、破壊と大量無差別殺戮を目的とした人間の歴史上初めての核兵器の広島への投下。それは、摂氏6000度の炎と放射能の塊であり、一瞬にして人間も家畜も家も街も燃え多くの人々が犠牲になった。
 そのヒロシマの日から9年経った1954年に、私は広島県三次(みよし)市という山間部に生まれた。広島市内に在住していた叔母は、原爆の放射能による白血病で亡くなった。そして被爆二世として精神的に苦しむ友人も多い。
 夾竹桃が赤く咲き盛る夏が巡り来るたびに、あの原子爆弾が、どれほどの多くの命を奪い健康を壊したかを思い、セピア色になった10巻まである故中沢啓治氏の自伝『はだしのゲン』を何回も涙を拭きながら私は読むのだ。
 『はだしのゲン』について、私の尊敬する人生の大先輩から「戦争という悲しくて恐ろしい世界を描きつつ踏まれても踏まれても逞しく生き抜いてゆく麦のような生命力、人と人との絆や命と平和の尊さが描かれている名作である」と聞き、実に的確な評価であり感動した。
 広島では平和教育の一環として『はだしのゲン』を使用している。名古屋では使用していないと聞くので、戦争の悲惨さと平和へのメッセージとして、『はだしのゲン』を教科書で是非紹介してほしい。著者の故中沢啓治氏の切なる願いでもあると思う。
 ゲンの妹の友子ちゃんは原爆投下の8月6日に産婆ではなく、ゲンの手により一筋の希望の光のように大きな産声をあげた。しかし1年後、友子ちゃんは原爆症を発症してミルクも飲めなくなり吐血を何度も繰り返し苦しんで亡くなった。小さい柩の中で白菊の嵩に埋もれた友子ちゃんは、まるで「私のこと、戦争のことを忘れちゃあいけんよ」と私達に静かに語りかけているように思う。
 戦争の悲しさ恐ろしさを過去から学び、人災による被爆が二度と起きない平和な世界を目指して皆様と連帯して運動の輪を広げて頑張りたい。