アメリカは変わらなければならない ボランティア 稲田浩治



 1992年10月17日。アメリカに留学中の服部剛丈(よしひろ)君(旭丘高校2年生)はハロウィンのパーティに出かける途中、強盗と間違えられて射殺された。ルイジアナ州バトンルージュ郊外の閑静な住宅地のことで、容疑者(当時)ロドニー・ピアーズの撃った44マグナムは服部君の胸を撃ち抜いていたという。


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 去る12月1日。ピースあいちで「服部君事件から20年―銃社会アメリカのいま」と題する集会が開かれた。第一部はクリスティン・チョイ監督のドキュメンタリー映画『世界に轟いた銃声』(1997年・米)の鑑賞会。第二部はバトンルージュでの祈念式典の報告ということで、服部美恵子・服部政一さん(ご両親)と平田雅己先生(名古屋市立大学)との対談、およびイボンヌ・バナルジーさん(2012年度YOSHI基金交換留学生)のメッセージとからなるものであった。緊張して観たり聴いたりした3時間だった。

 この集会に参加して思ったことはさまざまあるが、無理やりまとめてみると、およそ次の三点である。

 

 一つは、「ピアーズ被告の無罪評決」についてである。そもそも「フリーズ(動くな)」と言ったのに服部君が近づいて来たからといって発砲するのが、当たり前のことなのであろうか?その前に警告射撃のようなことは考えなかったのか?さらに言えば、実弾で、しかも至近距離から撃つことに何のためらいも無かったのか?疑問は深まるばかりである。あまりにも理不尽。-それが「正当防衛」として認められて無罪という陪審員裁判とは、いったい何だろうか。
 映画『世界に轟いた銃声』によれば、ピアーズ被告は銃の愛好家で何丁も銃を持ち、近所の野良犬を何匹も射殺したり、事件当時酒を飲んでいたり、平気で矛盾する証言をしたりする人物である。陪審員たちは何をもって「正当防衛」としたのであろうか、ここに至っては全く理解不能である。

 

 二つ目は、「服部さん御夫妻の活動」についてである。お二人は剛丈君の遺体と一緒に帰国する飛行機の中で、銃規制の運動を決意され、通夜の席から署名活動を始められたという。剛丈君の死を無駄にしたくないという一念が動機だそうであるが、とてつもなく大きな課題を背負われたことには、感嘆する外は無い。その際、ピアーズ被告も銃の被害者だという観点を取り入れられたことには、驚かざるを得ない。
 また、剛丈君の死亡保険金を元手に「米国の高校生に銃の無い安全な日本社会を体験してもらいたい」という趣旨で「YOSHI基金」を創設されたり、日本とルイジアナの高校生の交換留学を支援する「日本・ルイジアナ友好基金」を創設されたりなど、お二人の御活躍ぶりは当日受け取った資料「年表」に詳しいけれど、ただもう頭が下がるばかりである。

 

 三点目は、「銃規制の停滞」についてである。御夫妻は「米国の家庭から銃の撤去を求める」請願運動を始め、日米185万人分の署名を集約、クリントン大統領(当時)に手渡しし、銃規制を訴えられ、それはブレイディ拳銃暴力防止法や通称「攻撃用武器禁止法」(時限立法)となって結実したが、2001年の9・11同時多発テロ事件以後「自分の身は自分で守る」という風潮が強くなり、現在は停止状態とのことであった。
 だがしかし、銃の規制はもちろん、廃棄を目指した運動は絶対必要である。大体この文明の進んだ今日の社会でも銃で身を守らなければないという考えは、時代錯誤も甚だしい。野蛮である。
 アメリカでは銃の所有は西部開拓時代からの「伝統」(合衆国憲法では合法)だそうであるが、そんな伝統を大事にすること自体が、誤りである。元来銃は「人を攻撃する」ための武器であり、「自分を守る」ためのものではなかっただろう。強いものが弱いものを制するという論理から生み出されたものであろう。日本の刀剣も「人を斬る」ためのものであり、「自分を守る」ためのものではなかった。銃も剣も戦争と深く結びついているといえよう。
 YOSHI基金で来日した留学生の一人が「アメリカをよくするヒントは日本の生活にある。銃が無ければ平和な日々が送れないことはない」という言葉を残したそうであるが、正鵠を射た発言である。美恵子さんも、「一番感じている日本の素晴らしさは、銃規制がしっかりしていること。それをしっかり認識して若い人にも伝えたい」と述べておられた。彼我の違いを痛切に感じておられるお二人の言葉として印象的であった。

 ところで、12月15日、アメリカから恐るべき、悲惨なニュースが飛び込んできた。コネティカット州ニュータウンの小学校で、男が校舎内でライフル銃などを乱射、子ども20人と教職員6人の計26人を殺害し、男は現場で自殺したという。オバマ大統領は14日ホワイトハウスで涙ながらに、「悲劇の再発防止に向け有意義な行動を起こす」と声明を発表したそうである(中日新聞、夕刊)。大統領には勇気をもって「銃規制、廃棄」に向けて指導力を発揮してもらいたいものである。アメリカは変わらなければならない。