常設展「リニューアル現代展示」の見方 (その1) ピースあいち研究会 丸山 豊
開館五周年を迎え、本年5月に1階の現代展示が装いを新たにした。このリニューアルにはボランティアの方々の学びの結晶がある。また「世界の歴史の流れから私たちは何を学ぶのか」というピースあいちの理念が込められている。同時に「平和とは何か」の新しい問いかけもある。
リニューアル展示が伝える深いメッセージをどれだけ読み解けるか全く自信はないが、あくまで個人的な見方であることを前提に一つの見方を紹介したい。(すべてを網羅しているわけではないことをお許しいただいきたい。)
1.リニューアル前の現代展示(旧展示)への評価は?

「ピースあいち」を訪れる人の多くは、2階の常設展、3階の企画、特別展を見ると、1階の現代展示を素通りして終わる人が多く、これが関係者の悩みの種だった。もっとも来館の目的が「地域の暮らしの中に存在した戦争」の学びが中心で、1階現代への関心は薄いことが想像できる。
実は名古屋市博物館はじめ、公立博物館では現代展示そのものが皆無に等しかった*。その理由は簡単だ。現代は世界史、人類史を踏まえたうえで未来像を示さなくてはいけない。また、日本の戦後の歩みを分析し客観的に示すことが要求され、リスクを負う。だから展示が不可能になる。
しかし、ピースあいちは、開館以来「現代展示」にこだわってきた。展示内容もハイレベルなものであった。
三年前のある学生の評価である。「1階に戻り、現代の戦争のパネルがあることに感動しました。日本で昔こんな悲惨なことがあったと伝えるだけではなく、現代につなげて平和を願っていることがとてもよく分かったからです。」 また 「自分にとって戦争は過去のものだったのに・・・(1Fは)不思議な気分だった。ここまで無関係でいられる(とおもわせる)日本は(今)どうなのか。」と語っている。
ところが多くの人に見てもらえない限り、何か問題があるわけだ。見たいと思わせる何かが欠けていた。また、現代は刻々変化し、開館当時の展示では対応しきれない現実もあった。リニューアルの必然性は認めるものの、旧展示の良さの継承、狭いスペースの中でのレイアウト、全体構成のコンセプトが大きな課題であった。
*今年の夏、千葉県佐倉にある国立歴史民俗博物館(1983年開館)を訪れ、展示責任者の安田常雄氏の案内で現代展示室を見学した。2010年になってやっと現代展示に漕ぎつけたことになる。彼の説明の端々に苦労と困難さが滲み出ていた。その展示内容は、国立歴博の研究理念もあるが、ピースあいちと比べ、余りの隔たりに驚いたほど。
2.見る人に優しい、平和の大河の展示へ*

2012年4月6日中日新聞
さてニューアル後の展示内容に移ろう。新展示コンセプトの一つに、親子づれもお年寄りも「何?これって」「なるほど」と自分の生きてきた時代と今を結ぶことができ、「見る人に優しい展示」であることが挙げられる。車いすの人、子どもの目線も配慮した「ユニバーサルデザイン」のレイアウト設計である。できる限り文章説明を省き、写真を厳選し、展示全体が一つの作品となっている。
展示イメージは大河の流れにある。流れの中央帯が時間の流れ「年表」**来館者がその上を見上げると、平和を創った人々の写真が並ぶ。年表の下部も写真だが、現代の悲劇、紛争を表す。上部と下部を年表を見ながら自分自身の中で歴史像を形成することができる。
平和の一滴が小川から大河になりやがて海に注ぐ。平和に向けて私たちは何をなすべきかを問いかけている。
その大河の源は、カント「永遠平和のために」***とした。流れが注ぎ込む平和な海は「子どもたちの笑顔」の写真と「希望を編みあわせる」の詩である。子どもの笑顔には「平和とは何か」の問いがあり、ヨハン・ガルトゥングの平和概念また、地球市民と子どもの権利条約への問いがある。その笑顔と詩を受け広がる大海原はザ、パシフィック・オーシャンである。(Pacific =平和の意)
* 大河構想は館長、また全体のレイアウトはデザイナーA氏に依るところが多い。
** 時間軸は現代の変貌を考慮して可動式になっている。
*** カントは旧現代展示のスタートでもあった。新展示では「武器を捨てよ」のズットナーも是非入れたいところ。
3.写真が伝えるもの・・・「悲しみ」「愚かさ」と「希望」「愛」
大河の堤にあたる多くの写真は、入館者にインパクトを与える。一枚一枚の写真からどんなイマジネーションが浮かび上がるのか。年表の流れの下部に位置する写真は、平和を脅かす者たちであり、そこには「悲しみ」「愚かさ」が感じとれる。
上部の平和の堤の写真を見ると、ある変化に気づく。平和を求める人が「英雄的個人から市民・民衆へ」と変化している。現代とはそれまで歴史に埋もれ犠牲者、被抑圧、弱者だった多くの人々が、自ら主役となっていこうとする姿が映し出されている。
ノーベル平和賞受賞の女性たちの写真や人々の喜びの写真に「希望」と「愛」が湧く。
それぞれのイマジネーションは、自分たちの時代、「今」を意識する瞬間でもある。
4.「現代はいつから」 時代区分論と時期区分論
屋台骨にあたる年表では、時代区分、時期区分が現代展示の歴史認識として問われるだけに議論を重ねた。つまり「現代はいつから」「現代の時期区分をどう考えるか」である。
世界歴史における現代*のとらえ方は、2つある。第一次大戦後から、もしくは第二次大戦後の両者だが、私たちは第一次大戦後とした。つまり2階常設展の十五年戦争、アジア・太平洋戦争を1階現代展示では世界史的にとらえ直すことで、来館者の歴史認識が整理され、今につながることを願ったからである。
次に現代の時期区分が大事な視点となる。誰もが異論のないところは、以下の三つの時期区分だろう。
第一期: 世界戦争の時代(1914~~1945)
第二期: 東西対立冷戦時代とAA(アジア、アフリカ)台頭時代(~1990前後)、
第三期: 冷戦終結とアメリカ型グローバリズム時代(1990代~現在)。
ところがショックドクトリンともいわれる今はどんな時代なのか。アメリカの一極支配は過去のものとなり、混乱の中でオバマが再選され、中国も同様に新指導体制に移行した。EU、中東、北アフリカ、中南米の変貌を人間の歴史としてどう見るのか。3.11後の日本と世界、東アジアの平和に果たす日本の役割とは何か。課題を抱えながらの現代展示となった。
次回は、展示の多面的な見方を紹介したい。
*時代区分としての現代には、様々な見解があり、今後の歴史研究の成果に待ちたい。