秋晴れに恵まれた戦跡ツアー関ヶ原~近江八幡~滋賀県平和祈念館 ボランティア・戦跡班   野田 隆稔



関ヶ原火薬庫跡
 10月8日(月)、43名の参加のもと、戦跡班の戦跡ツアーが行われた。この日は、参加者の心掛けが良かったのか素晴らしい秋晴れであった。

 定刻通り、9時に一社を出発し、順調に関ヶ原についた。関ヶ原は天下分け目の関ヶ原の戦いで有名な地である。戦いが行われた場所は遺跡として保存され、観光地になっている。そことは反対方向にある関ヶ原鍾乳洞のそばに関ヶ原火薬庫跡がある。

 
山田昌さん

立哨台の前で説明を聞く参加者

 関ヶ原火薬庫は1914(大正3)年に開設された。正式名称は名古屋陸軍兵器補給廠関ヶ原分廠である。山を含めれば広大な土地である。関ヶ原に火薬庫がつくられたのは①人家が少ない②小高い山が多く土塁がつくりやすい③伊吹山の乱気流が発生しやすく上空の飛行が困難等の理由から選ばれた。

山田昌さん



 かつては兵員の官舎や事務所があり、関係者が多く住んでいた。さらに高射砲も設置されていた。戦後は米軍によって火薬は廃棄され建物は破壊された。現在は営門、洞窟、立哨台、土塁の一部が残っている。
 「ゴマの里」というゴマ専門店があるところに営門のあとがある。鍾乳洞の近くに火薬が仕舞われていた洞窟が3つ残っている。コンクリートで天井も側面も覆われ、頑丈な作りである。入口から前室は日の光が入り見えるが、火薬が収納されていた本室(奥行きは20m以上ある)は日の光が入らず、真っ暗である。中に入るとひんやりとしている。懐中電灯で部屋を照らす光が不気味である。
 洞窟の前に立哨台があるが、さほど大きなものではない。人一人、入るのがやっとである。参加者の中には中に入った人もいた。
 昨年、知多半島の戦跡ツアーをしたが、師崎や河和などの小さな漁港にまで海軍の施設があった。参加者の一人が、「こんな田舎まで軍事施設があることを知り、日本中が戦争に組み込まれていることを知り驚いた」と言っておられたのが印象的であった。

山田昌さん

近江八幡で近江牛を食す
 八日市インターから近江八幡までは40分弱で行くのであるが、休日のためか、車が渋滞し、予定より30分近く遅れて着いた。食事は近江牛の販売と食事どころとして有名な西川屋。一人前用の鍋でのすき焼き、店員さんから「赤みが残るうちに食するとよい」と美味しい食べ方の説明があったが、私は聞くことができず、煮過ぎてしまい肉の旨さを味わうことができず悔しい思いをした。豪華な昼食であった。「牛に引かれて善光寺参り」ではないが、近江牛に惹かれて参加したという人も結構いた。満足していただけて企画した戦跡班は喜んでおります。                  
 自由時間が30分しかなかったので、うだつのある古い町並みが見られなかった、船に乗れなかった、ケーブルカーに乗れなかったという苦情もあったが、またゆっくりと家族で来てください。一日遊べる町です。

山田昌さん

滋賀県平和祈念館
 八日市(現東近江市)にある平和祈念館には予定していた時間に着いた。職員の浅岡さんから平和祈念館建設までの歴史と館の内容の説明を受けた。滋賀県も1975(昭和50)年代から平和関連施設建設の市民運動があり、県議会でも論議された。2000(平成12)年にはマスタープランを策定し、建設に向けて進みだした。2010年東近江市の愛東支所を候補地に決定。2012年3月に「滋賀県平和祈念館」としてオープンした。県の施設であるため、学芸員や事務職の職員もおり、その上、50人以上のボランティアがいる。ボランティアは無償の奉仕であるとの事。
 施設内を見せていただいたのだが、常設展示は無く、3ヶ月ごとにテーマに応じた展示をしているとの事。ピースあいちが展示しているような資料も展示してあるが、説明文が少ない。見て何かを感じてもらうことを主眼としているのだろう。
 最初の説明の中にあったが、入館者は夏だけで6000人、平常でも月3000人近いとのことである。「学校に見学するよう義務化しているのか」と聞いたところ、それはしていないとの事。永年の念願でできた施設だけに育てていこうという意識が県民や学校関係者にあるのであろう。かなりうらやましいと思った。
 7人のボランティアとの交流会で、ピースあいちに来た人は誰もいないとの事、「ボランティアの皆さんで、ツアーを組んで、ピースあいちにお越しください」と依頼をしておいた。
 ボランティアさんたちはおそろいのユニホームを着ておられた。ピースあいちはピースあいちのスタイルでいけばいい。
 予定より30分も永い交流会であった。お土産に平和祈念館のシンボルマークのバッチと東近江市で行われる大凧挙げ大会に平和祈念館が参加する「平和それは非戦の絆から」と書いた凧のミニチュア版を頂いた。
 4時過ぎに、平和祈念館を出たが、名神が大渋滞で予定より1時間30分以上遅れて帰着した。
 また、来年も戦跡ツアーを行うので、多くの方の参加を待っています。