さようなら原発10万人集会と「原爆の図」展に寄せて
ボランティア 佐藤かずお




《よみがえったあの日のこと》

 昨年3月11日からの福島第一原子力発電所事故のニュースをみていて、私は忘れていたあの日のことを思いだした。
 それは今から30余年前の春の日のことで、私はおふくろの在所へ地元の祭礼に招かれて妻とともに幼い二人の子供をつれて訪ねていた。
 祝い酒のあと、ある叔父と原発の是非についての議論となった。 その叔父は田舎人にしては幅広い分野のことについての知識が高く、紳士的でもあったのでひどく尊敬していた。
 そして、その叔父は中部電力㈱の社員で、水力発電所に勤務していた。 原発の危険性を心配する私に対して、叔父は将来の電力源としての原子力発電の有用性を説いて譲らなかった。
 その後、叔父とは親族の葬儀の折くらいにしか会うこともなく、この度の福島原発事故についての所感を聞くに至っていない。
 そして、今、私は孫子のためにも「原発に依存しない日本」を願ってやまない。

《迷い》

 脱原発のスローガンを掲げて7月29日投開票の山口県知事選に立候補している環境エネルギー政策研究所長の飯田哲也さんの応援に行くか?それとも東京代々木公園で行われる「さようなら原発10万人集会」に行くか?迷った。
 60年安保のときは岐阜の片田舎の高校1年生とて、東京の集会やデモに参加することもなく終わったので、東京での「さようなら原発10万人集会」に参加することとした。
 朝になったら、カミさんが「今日は予定がないから」と同行してくれた。 東京に向かう新幹線には、集会に参加されるであろういで立ちの方々の姿が多数見受けられた。
 集会に行くという方に、7月28 日から開催の「原爆の図」展のチラシチを渡したら「ピースあいちには何度かお邪魔したことがありますよ」とのことで嬉しかった。

《さようなら原発大集会》

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さようなら原発10万人集会

 新幹線を品川で降り、山手線に乗り換えて「原宿」で降りたが、ホームから改札を抜けるまでにすでに凄い人の群れ。梅雨明けの炎天下、代々木公園を目指す人の洪水。まわりから流れてくるミュージシャンの歌声やバンドのリズムが腹に響き、宣伝カーの上から流れてくる大飯原発再稼働を糾弾する声などと相まって集会の盛り上がりを予感させた。

《集会呼びかけ人のあいさつ》

 代々木公園の第一会場、第二会場を埋めつくした17 万人の上空を報道各社のヘリが飛び交う中、集会呼びかけ人からのあいさつが始まった。
 それまで第二会場の木蔭に潜んでいた我々も意を決して炎天下の第一会場メイン広場に向かう。以下は呼びかけ人のあいさつ(要旨)である。

・音楽家:坂本龍一氏

 「一市民として参加した。こうして市民が声をあげているのは感無量。電気のために、子どもの命を危険にさらすべきではない。」

・作家:大江健三郎氏

 「私たちが署名を野田首相あてに提出した翌日、首相は大飯原発の再稼働を決めた。政府に侮辱されていると感じる。」

・作家:落合恵子さん

 「コンクリートから人へと言ってた人たちが、命より原発を選んでしまった。でも私たちはひるまない。原発はいらない。原発の輸出も許さない。私たちが守るべきものは命である。」
と一番歯切れがよかった。

 その他にも、ルポライターの鎌田慧氏、経済評論家の内橋克人氏、作家の澤地久枝さん、作家の瀬戸内寂聴さんから「大飯原発再稼働反対」「原発ノー」を訴えるあいさつがあった。

《デモ行進》

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デモ行進

 集会も半ばだというのに、午後1時半を過ぎると「原宿コース」「渋谷コース」「新宿コース」の3つに分かれたデモ行進(今では「パレード」というそうである)が始まった。
 何せ、参加者17万人であり、3つに分けても各コース平均5万人を超える数である。
 日帰り予定の我々にとっては遅い出発は命とりになり兼ねない。そこは、昔とった杵づか?で、早めに集会場を離れてデモ隊の通る道筋沿いの喫茶店で一息いれた(聞くところによると、行進の最後列が集会場を出たのは5時を過ぎていたということである)。

 パレードのコースは、カミさんが「表参道や青山通りの街並みを眺めながら歩きたい」というので「原宿コース」の表参道→青山通り→外苑西通り→明治公園(四季の庭)コースの3キロを歩いた。
 途中の表参道あたりはケヤキ並木が美しく、日陰となって心地がよかった。片側3車線のうち、歩道寄り2車線を使ってのパレードとなったが、道行く車から手を振る人がいたり、歩道を歩く都民の表情も好意的に感じられた。

疲れた一日ではあったが、高揚した気持ちとともに8時少し前に無事帰宅した。
 夜9時からNHKニュースウオッチング9で集会・パレードの模様を報道していたが余りにも形式的なもので「オイオイ!」という感じであった。

《丸木位里・俊夫妻の「原爆の図」展の成功を》

 今、ピースあいちでは五周年記念特別企画としてご夫妻の大作展示に取り組んでいる最中であるが、核兵器や戦争の残虐さを告発し続けたお二人がご存命だったら、此度の原発事故に対して何といわれただろうか?

ノーモア広島・長崎、第五福竜丸事件!を使命としてきた日本において、今度は自らの手による「フクシマ」を起こしてしまったのである。
 この特別展を機に改めて、名古屋の地から「ノー核!」の機運を一層高めていかねばと思うのである。
 広報班の一員として、この「原爆の図」展成功に向けて各種宣伝行動や友誼団体への営業活動に励むとともに個人的にも前売券をさばかねばと思っている。何とか当初の30名動員目標は見通しが立ったので、次なるは50名目標である。

 山口県知事選挙で飯田哲也さんが当選して、上関(カミノセキ)原発計画の白紙撤回とともに、脱原発の機運が国中に拡がることが望まれるところである。