オリンピックと平和ボランティア 林  收

                 
「オリンピック憲章」

2011年7月1日から有効の
「オリンピック憲章」日本語版の表紙

 今年は第30回オリンピック競技大会が7月27日からロンドンで開催されます。
 フランスのピエール・ド・クーベルタン男爵の提唱により、古代ギリシャのオリンピックを19世紀の末に復活させ、すでに1世紀以上続く近代オリンピックの歴史はよく知られているところです。
 クーベルタンが目指したのは、スポーツを通して、体と心をきたえ、世界のいろんな国の人と交流し、そして平和な社会を築くことでした。このオリンピズムという理念に支えられた、世界的なスポーツ競技大会は、スポーツをするだけではなく、世界平和も目指しているものです。
 それを成文化した「オリンピック憲章」では、オリンピズムの根本原則として「オリンピズムの目標は、スポーツを人間の調和のとれた発達に役立て、その目的は、人間の尊厳保持に重きを置く、平和な社会を推進することにある。」、「人種、宗教、政治、性別、その他の理由に基づく国や個人に対する差別は、オリンピック・ムーブメントに属する事とは相容れない。」などの規定を盛り込んでいて、スポーツをとおして世界平和を目指し、差別迫害のない社会を確立する目標を唱っています。

 このオリンピズムに抵触して大会が正常に行われなかった歴史もあります。

メダル 表・裏

東京オリンピック記念メダル

第6回 ベルリン(ドイツ) 1916 は 第一次世界大戦のため開催中止。
第12回 東京(日本) 1940 は 日中戦争の影響により日本が開催権を返上し、代わってヘルシンキ(フィンランド)での開催が決定したが、第二次世界大戦が勃発したため結局開催できなかった。
第13回 ロンドン(イギリス) 1944 は 第二次世界大戦によって中止された。
第14回 ロンドン(イギリス) 1948 は 敗戦国であるドイツや日本の参加は認められなかった。
第16回 メルボルン(オーストラリア)1956 はイギリスとフランスが関与したスエズ動乱に抗議しエジプト・レバノン・イラクがボイコット。ソ連によるハンガリー侵攻に抗議しスペイン・オランダ・スイスがボイコット。中華民国の参加に抗議し、中国がボイコット。
第22回 モスクワ(ソビエト連邦)1980 はソ連のアフガン侵攻を理由にアメリカ・日本・西ドイツ・韓国・中国を含む約50ヶ国がボイコットを決めた。イギリス・フランス・イタリア・オーストラリア・オランダ・ベルギー・ポルトガル・スペインなどは参加したが、イギリスではボイコットを指示した政府の後援を得られず、オリンピック委員会が独力で選手を派遣した。
第23回 ロサンゼルス(アメリカ合衆国)1984 はソ連や東欧諸国がボイコットした。表向きの理由はアメリカ軍によるグレナダ侵攻に対する抗議としているが、モスクワ五輪にアメリカ等が参加しなかったことへの報復とも言われる。

 一方、世界平和を目指すオリンピックならではのエポックメーキングなこともありました。

第16回 メルボルン(オーストラリア)1956 では西ドイツが東ドイツとの連合チームでの参加。
第24回 ソウル(韓国)1988 では開会式において聖火台への点火に先立つセレモニーとして、平和の象徴である「白い鳩」が放たれた。
第27回 シドニー(オーストラリア) 2000 では 韓国と北朝鮮が合同で入場行進した。

 また、第11回 ベルリン(ドイツ)1936 において、開催国のヒトラー総統は大会期間に限りユダヤ人に対する迫害政策を緩めたり、有色人種に対する差別発言を抑えるなどオリンピック・ムーブメントに属することと相容れない国策を一時的にせよ変更してまで大会を成功に導こうとしました。 

「五輪旗」

 シリアでは昨年来、アサド政権と反体制勢力との武力衝突、住民虐殺が相次ぎ、内戦状態が続いています。シリアのオリンピック参加歴は1948年に始まり、1952~1964年、1976年の不参加のあとは連続8回参加しています。いま国連の停戦監視活動も中断状態におかれるほどの治安が悪化しているなか、シリアはロンドンオリンピックの参加予定国になっています。アサド大統領もヒトラーの例に倣い、国を挙げてオリンピックに参加できるよう決断されるよう希望してやみません。