◆ 写真集「沖縄道ジュネー 犠牲と抵抗の歳月」出版のお知らせ 浅見 裕子

「沖縄道ジュネー 犠牲と抵抗の歳月」より
2010年7月 北谷町砂辺自動車解体工場脇
「米国陸軍施設」「米国用地に無断立ち入ることを禁止する 違反者は日本国の法律に依って罰せられる」
私は長いあいだ沖縄に無関心でいた
1995年9月に起きた米兵の小学生暴行事件をきっかけにありのままの沖縄を見ようと沖縄の町や村を巡り歩いた
人びとの暮らしのすぐそばで軍隊が訓練をしていた
私は時々戦場にいるような感覚におそわれた
自然豊かな亜熱帯の島は軍隊にのみ込まれたままなのである
「昔のような平和な島に戻りたいだけです」
という沖縄びとの願いはいつかかなえられるのだろうか

「沖縄道ジュネー 犠牲と抵抗の歳月」
このたび、16年間通い続けた沖縄を写真集にしました。
題名の「道ジュネー」は、現在の沖縄ではもっぱら「デモ行進」のことを言いますが、本当は旧盆の時に踊るエイサーが祖先供養の為に集落の中を練り歩くことを言います。転じて、巡り歩くこと、練り歩くことをいいます。
写真集は、私が沖縄の町や村を訪ね歩き、沖縄の現在と現在に続く過去に想いを巡らせたものです。2006年に出版した「沖縄戦世」の続編にあたりますが、今回は沖縄の文化・戦場の記憶(戦争体験者の証言)・占領下の土地強奪の記録再現・辺野古新基地建設にかかわり名護市市民投票への政府介入実態など、66年前の沖縄玉砕から現在に至る沖縄の状況を写真と文章で再現を試みました。沖縄に対する理解を深めていただくことがねらいです。万感の思いを込めた写真集です。是非ご一読いただくことを願っています。
(ご用命はFAX052-895-8516 ・ ピースあいちでも取り扱っています)

「沖縄道ジュネー 犠牲と抵抗の歳月」より
シュワブ基地ゲート前で意思表示
2004年11月11日 名護市辺野古
長いあいだ通った沖縄だが、
この日(2010年1月15日)まで
一月にひまわりが咲くことを
私は知らなかった。
朝のテレビニュースでそれを知り、
さっそくいって見た。
大きくてたくましいひまわりの花、
その黄色の群生を目にした時、
沖縄の奥ふかい豊かさに私は
希望を見たような気がした。
浅見 裕子 あさみ ゆうこ
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12月3日付毎日新聞の「近聞遠見」―「沖縄は中央政府の質草だ」の中で岩見隆夫氏は11月30日の「琉球新報」に掲載された大田昌秀元知事の談話を紹介している。
「憤っている。師走の沖縄が。大田昌秀元知事は『歴史を勉強していて一番感じるのは、沖縄の人々が人間扱いされてこなかったということだ。中央政府の何らかの目的を達成するための質草として、物として沖縄が扱われてきた・・・』『辺野古に80歳、90歳のお年寄りが14ヵ年も座り込んでいる意味なんて、分かるはずがない』・・・」。
この記事を読んだ直後、浅見さんの写真集を手にした。沖縄の憤りに、沖縄の想いにしっかり受け止めた写真集。多くの方に見てほしい、読んでほしい。 (K)

沖縄にまだ我慢しろというのですか
4月25日、県民大会参加者のゼッケン
(2010年4月25日 読谷運動場)

2004年8月3日 名護市辺野古の浜
「斥候兵上陸」
水際ぎりぎりまで這いつくばってきた米兵は いきなりガバッと起きて走り出した。

2005年11月1日 名護市役所前
「月から金の、ランチタイム市役所行動」
1坪反戦地主である岸本市長にむかって「基地受入れ中止」をそれぞれの言葉でハンドマイクを使って呼びかけた。

ホンダワラが群生する辺野古の海
2004年8月 辺野古海上マナヌ岩付近
魚の産卵の場でもある。
防衛省の行ったアセス調査の結果、辺野古沖500ha、大浦湾100haの海藻藻場の面積は沖縄で最も大きいことがわかった。