オバマ政権時代の米国を見つめて⑤ビンラディンの死と再燃する拷問論争
名古屋市立大学准教授 平田雅己
2011年5月1日、私はワシントンDC中心部にある犯罪刑罰博物館を訪れていた。歴代の有名犯罪者の横顔や未解決事件の記録、犯罪捜査の手法など米国社会と犯罪の関わりが包括的に理解できる異色の博物館である。
FBI指名手配犯コーナーにてオサマ・ビンラディンの顔写真が目に入った。しかし、彼の容疑に関する説明文を読むため、わざわざ足を止めることはなかった。米国に住んでいると、博物館の展示として特別扱いする必要がないほどに、彼の存在が日常化していることに気づかされる。
空港でフルボディ・スキャナーを通過するたびに、街角でムスリム・アメリカンの人権擁護を訴えるポスターを見かけるたびに、オバマ大統領のアメリカ人性を疑問視する見方が示されるたびに、私は911事件―つまりビンラディン―の影を意識するのだ。
午後10時過ぎ、CNNニュースを見ていると、オバマがこれから国家安全保障に関する国民向けの緊急演説を行うという速報が流れた。NATO軍の空爆でカダフィ大統領の息子が死亡するなど、緊迫度を増していたリビア情勢に関するものではないという。
「まさかビンラディンに関するものではなかろうか」。日付が変わる直前の日曜夜という異例の時間帯であることも手伝って、私の中のビンラディンが突如、表象から実態へと変貌を遂げることになった。
予感は的中した。午後11時半過ぎ、ホワイトハウスの会見場に現れたオバマは、パキスタン北部アボタバードに潜伏していたビンラディンが米海軍特殊部隊によって殺害された事実を国民に告げ、「正義は下された」と高らかに宣言した。
私はオバマ政権がビンラディンの居場所を突き止めた事実に素直に驚き、一方で彼が生きたまま拘束されなかった事実を残念に思った。911直後、ブッシュ前政権がビンラディンの事件関与を示す確たる証拠を国際社会に提示することなく、アフガニスタンへの軍事介入を開始したその時点から、彼が実際にどの程度この事件に関与していたのか疑問に思っていた。
私が知りうる限り、連邦議会の911事件調査委員会報告書と2004年10月に公開されたビンラディンの米国民向けビデオ・メッセージが、ビンラディンと911の関係性を指し示す数少ない資料である。前者については、もっぱらブッシュ政権側が用意したテロ容疑者の証言記録に基づくものだが、委員会はそれら容疑者に対する直接の聞きとりが認められないなど調査上の制約が多く、内容の信憑性については疑念が残らざるを得ない。
後者についてはビデオそのものが偽物であるという疑惑もあるが、仮に本物であるとして、なぜ事件当初、関与を否認していたビンラディンが3年以上経過した後に、立場を180度覆す発言を行ったのか依然謎のままだ。
私はビンラディンが無罪であるとは思っていない。むしろ彼の有罪を立証するためにこそ、彼を法廷に立たせ、事件の全容を明らかにすべきというのが、私の基本的な立場だった。だが、オバマにとってそれは必ずしも優先事項ではなかった。
彼は2008年大統領選挙期間中から、前政権同様、ビンラディン捕捉については殺害も辞さない強硬姿勢を貫いており、この件に関するオバマの「正義」が、法の裁きよりも911の復讐心を優先させる可能性はもとより大であった。
パキスタン政府に対する事前の折衝・通告なしに同国領土内で超法規的作戦を展開するという露骨な主権侵害の側面も含め、単独行動的な対テロ戦争の性格が前政権からしっかりと継承されていることを再確認したわけだ。
実は、オバマ政権は前政権のタカ派路線のすべてを継承したわけではない。はっきりと一線を画していた分野がある。それは、キューバのグアンタナモ収容所やその他CIAの秘密収容施設で拘束中のテロ容疑者たちに対する拷問の禁止である。
ブッシュ前政権は、逮捕したテロ容疑者を通常の刑法手続きが及ばない海外施設にて無期限収容し、水責めや睡眠妨害など1949年ジュネーヴ条約や1996年戦争犯罪法(米連邦法)で禁止されている拷問(ブッシュ政権は「強化された尋問方法」と呼んだ)による尋問を行い、その是非をめぐり米国社会で国論を二分する大論争が巻き起こった。
オバマは前政権のやり方は米国の価値観と相いれないとして、拷問の禁止と悪名高いグアンタナモ収容所の閉鎖を大統領選挙の公約に掲げ、政権発足後、それらを盛り込んだ行政命令にいち早く署名した。法の支配と国の安全は決してトレードオフ関係ではなく、両立できるというのがオバマの考えであった。
皮肉なことに、断ち切ったはずの過去の忌わしき記憶が今回のオバマの快挙にケチをつけることになった。ブッシュ政権の元関係者や共和党の有力議員たちが、かつての汚名返上とばかりに、前政権時代の「強化された尋問方法」による情報のおかげでビンラディンの隠れ家を突き止めることができたと一斉に主張しはじめたのだ。
FOXニュースに出演したチェイニー前副大統領はオバマの快挙を称賛する一方で、そこに至るまでに前政権時代の「強化された尋問方法」が果たした役割を指摘し、「我々が7年以上に亘って国の安全のために行使してきた多くの手法がもはや行使できない事実を危惧している」と述べた。
司法省法律顧問として「拷問」正当化メモの起草に関わったカリフォルニア大学教授のジョン・ユーは、ブッシュ時代のテロ収容者対応を次のように強烈に擁護した。
仮にオバマ政権が、2002年から2008年にかけて政治を担っていたとしよう。その状況を想像してほしい。彼らはアルカイダ幹部に黙秘権や弁護士を与えていただろう。グアンタナモ収容所や軍事法廷もなく、その代りに、米国本土で民事裁判を行い、被告のテロリストたちに権利の章典に関わる恩典を与えていただろう。強化された尋問方法もなければ、テロリストへの監視プログラムもない、それゆえ今回の成功をもたらした網の目のような諜報活動も存在しない。・・今回の成功についてオバマ大統領が賛辞を得るのはもっともである。しかし、それはブッシュ政権が下した苦渋の決断のおかげでもあるのだ。[National Review Online, May 2, 2011.]
ラムズフェルド前国防長官は、情報公開サイト・ウィキリークスが先月25日に暴露したばかりのグアンタナモの被収容者に関する700頁にわたる機密文書を取り上げ、「強化された尋問方法」を受けたとされる元アルカイダ幹部アブ・ファラジ・リビに関する文書の中から「アボダバード」の文字を見つけた。
彼はその点を根拠に、もしビンラディンが「この文書を注意深く読んでいたならば、その数日後に米国海軍特殊部隊が彼の隠れ家に降り立った際に、彼がそこにいなかった可能性がある」とまで言い放った。[Donald H. Rumsfeld, “A WikiLeaks Revelation: Gitmo Works,” May 13, 2011, The Washington Post.]
この国防省のリビ文書を実際に読んでみると、確かに2003年半ばから2004年半ばまでリビが家族と共にアボダバードに住んでいたという記述がある。しかし、文書には別な居住地として、あるいはメンバーとの会合場所として、リビが選んだパキスタンの他の地名も同じ調子で記録されており、アボダバードを特別視する内容ではない。
アボダバードとビンラディンを結びつける記述も見当たらない。今回のビンラディンの居場所確定の決め手になったとされる側近アブ・アフメド・アルクウェイティの名前も出てこない。それにしても、ラムズフェルドがかつての同僚たちが現在捜査を進めているウィキリークスの文書に依拠してまで必死に自己弁護しようとする様は何とも滑稽だ。
この件に関するオバマ政権側の公式見解としては今のところ、パネッタCIA長官のコメントが唯一である。ブッシュ政権時代、拷問は主としてCIAの尋問マニュアルに沿って適用されていた。
5月3日、NBCのインタビューに応じたパネッタは、複数の情報に基づく総合判断であると前置きした上で、「明らかにその一部は収容者の尋問によるものである」と述べ、拷問による情報関与の可能性を認めたが、具体的な言及は避けた。その後、パネッタは本件に関するマケイン共和党上院議員からの質問に対し次のような回答状を送っている。
(ビンラディンの)側近(アルクウェイティ)の役割に関する有益な情報をもたらした拘留者の何人かは、強化された尋問方法を受けていました。この方法がそうした情報を得る「時宜にかなった効果的な唯一の手段」であったかどうかについては見解が分かれるところですが、それについて明確な立場を記すことは困難です。明らかなのは、それら情報が我々をビンラディンに導いた複数の情報の流れのほんの一部に過ぎないということです。・・
さらにいえば、我々が最初にこの側近の名前を知ったのは、2002年にCIAの管理下になかった拘留者からでした。そして重要なのは強化された尋問方法を受けた拘留者の中にはその側近に関して、誤った、あるいは紛らわしい情報を提供しようとした者もいました。・・
結論として、CIAの管理下にあった拘留者の中で、その側近の本名や特定の隠れ家を述べた者はいませんでした。この情報は他の諜報手段を通じて得られたのです。
[“What Panetta Told McCain About Bin Laden and Enhanced Interrogation,” May 16, 2011, The Two-Way-NPR’s News Blog.]
まわりくどい表現であるが、要は、決定的な情報が拷問からは得られることはなかったが、そこに至る過程で拷問による証言が役立った可能性はあると述べたわけで、いわば拷問関与の定義によってはどちらにもとれる玉虫色の説明であった。
パネッタは2009年のCIA長官承認公聴会にて「水責めは拷問であり、間違っている」と明言している。先月、オバマ大統領は退任予定のゲーツ国防長官の後任にこのパネッタを指名した。今後新国防長官承認公聴会にてこの問題が再び取りざたされる可能性はある。
だが、外部へのこれ以上の情報流出は現在展開中の対テロ作戦に悪影響が出るとの理由からオバマ政権は職員たちに箝口令を敷き始めており、パネッタが委細に触れることはまずないだろう。
とはいえ、政権関係者の匿名情報に基づくメディア報道の内容を総合すると、およそ次のような事実はどうやらあったらしい。
2002年から2003年にかけて米情報当局は側近アルクウェイティの名を知ったが、その重要性を確認するには至らなかった。2003年3月、911首謀者の一人でアルカイダ・ナンバー3のカリド・シーク・モハメドが逮捕された。彼はグアンタナモでの取り調べの中で水責めなど拷問を受けたが、アルクウェイティについてはすでに「活動していない」と述べ、その重要性を否定した。
2004年に拘束されたアルカイダ工作員ハッサン・グルの口から、アルクウェイティがビンラディン、モハメド、そして先述したリビらに近い人物であるという証言が得られた。グルには水責めはなかったが、他の拷問を受けた可能性はある。リビは2005年に拘束されたが、アルクウェイティについては知らないと答えた。グル同様、リビにも水責めはなかったが、他の拷問は受けた可能性はある。今のところこの程度しかわからない。[“Bin Laden Raid Revived Debate on Value of Torture,” May 3, 2011, The New York Times.com. Eugene Robinson “Torture Isn’t off the Hook,” May 6, 2011, The Washington Post.]
これらが仮に事実であるとして、この2004年の時点から、オバマ演説の中で触れられた、ビンラディンの潜伏先に関する確たる情報が出始める2010年夏までに、この側近に関し、どのような情報収集や分析の経緯があったのかは不明である。争点の拷問行使についても、特に水責め以外の拷問の有無、それらと証言との因果関係など、実相は依然闇のままである。
先述したパネッタ回答に対し、質問者のマケインは大いに満足したようだ。ワシントンポスト紙への寄稿文の中で、今回のビンラディン発見に拷問は関与していなかった、とあっさりと胸をなでおろしてしまった。
彼はベトナム戦争時代にハノイの収容所で5年半の捕虜生活と拷問の体験があり、ブッシュ政権の拷問容認姿勢に真っ向から異を唱えてきた人物である。彼は拷問に反対する理由として、自分の経験に照らして拷問によって信憑性の高い情報は得られにくいこと、敵の捕虜を虐待することによって味方の兵士が囚われた際に同様の虐待を受ける危険性があることを指摘した上で、この問題は残忍な刑罰を禁止する合衆国憲法の精神に関わる「道義的」ものであり、「我々が何者なのかを問うものである」と力説した。
しかし、彼の反拷問論には対テロ戦争の論理そのものを突き破るほどの迫力はない。モハメドが183回もの水責めを受けた事実に触れつつも、「これらの尋問方法を行使した人間を訴追すべきであるとは思っていない」と述べている。戦争犯罪を確認しているにもかかわらず、その責任を問わない米国が果たしてマケインがいう「多数や政府の意思よりも個人の人権を重んじる国家の模範」になりうるのか甚だ疑問だ。[John McCain, “The Damage Torture Does,” May 12, 2011, The Washington Post.]
「強化された尋問方法」などという婉曲表現を使って拷問を正当化しようとする立場も、拷問がビンラディン殺害に関わった可能性を認めたくない立場も、米国が対テロ戦争を口実に拷問に手を染めたという揺るぎない事実から何とかして目を背けたいという悪あがきにしか見えない。
テロ容疑者として収容された人間のほとんどが無実の罪で拘束され、非人道的扱いを受けてきた事実が、今回のビンラディン殺害によって果たして正当化されうるのか。残念ながら、この拷問論争の核心を議論しようとする雰囲気は今のワシントンにはない。
ビンラディンは死んだ。しかし、米国が目的のためなら手段選ばずの姿勢を取り続けている限り、ビンラディンの亡霊に悩まされ続けることは間違いない。
「米国はしょうがないな」と他人事のように思うことなかれ。アジア太平洋戦争時代に旧日本軍も水責めなど拷問による捕虜虐待を行っていた事実をお忘れなく。
追記:オバマが公約したグアンタナモ収容所の閉鎖であるが、2年半近く経った現在でも実現していない。被収容者を米国内に移送し文民裁判を受けさせるというオバマ路線が米国民の理解を得られなかったためだ。2003年のピーク時に680名いた被収容者は現在大幅に減少したが、それでも現在172名が依然無期拘束中である。オバマ政権はどうやら文民法廷路線を諦め、軍事法廷路線に回帰したようである。被収容者の法的権利無視で問題が多かった2006年軍事法廷法の改定法が2009年議会で成立し、残りの被収容者については今後この軍事法廷を通じて審理がなされるようであるが、どれだけの時間が費やされるのか予想がつかない。グアンタナモ閉鎖への道のりはまだまだ遠いといわざるを得ない。[“How the White House Lost on Guantanamo,”April 24, 2011, The Washington Post.] (2011年5月20日)