ボランティア雑感●東日本大震災と憲法 後藤 茂昭
私は、昭和18年生まれである。母は、私を懐胎している時、体調が悪く熱があって薬を飲み続けていた。「生めよ増やせよ」の時代で堕胎は許されず私は生まれた。
その私は、体に不具合はあるものの無事長じて大学へ進み、好きな歴史を学ぶつもりが、間違って(?)法学部生となり、憲法を学び、「ベトナム戦争反対」や「沖縄を返せ」のデモにも参加した。
社会へ出ると、そこは憲法の通用しない、デモも全く無縁の世界であった。それでもそれなりに社会の動きに関心は持ち続けた。61歳で早々と(?)自由の身になり、好きなことの十種競技のような生活の中に、「愛知九条の会」や「昭和区九条の会」の会員になることも含めた。そんな中「ピースあいち」が設立され、ボランティア募集の情報を得た。説明会に出席してそのままボランティアになった。
東日本大震災の空前の被害と、それに起因する福島原発の大事故以来、心が晴れない。亡くなられた方はもちろん、被災された方々、命がけで原発事故処理に当たってみえる人達のことを思うと胸のつぶれる想いである。
この大震災を機に日本のあり方を大転換すべきである。アメリカでは、大きな問題に遭遇した時、「憲法に帰れ」という言葉がある。考えてみれば、憲法は国のあり方を決めているのだから当然であるが、日本では「帰る」ではなく「変える」という策謀が歴代政権によって半世紀にわたり続いており、国民の「戦争反対」の強い思いが辛うじてそれを抑えている。
大震災に際して、世界中の国や人々の支援の大きさはかつてないものであり、その善意と行動が、世界的に話題となっている。憲法前文には、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した」と書かれている。
今回、この決意が正しいことを世界の人々が事実をもって証明してくれている。関係悪化が懸念されていた中国からも、日本よりはるかに貧しい国々や人たちからも驚くべき多くの支援が続いている。
日本はかつてODA(発展途上国への政府開発援助)の先頭を走っていた。1990年代には、世界のODA総額の17~27%を拠出する、ダントツのODA大国であった。ところが、2000年の小泉改革以来、ODA予算は毎年削減され続け、ついに2007年には、ピークであった1997年に対し約35%減った7800億円(前年比30.1%減)、となり、前年の第3位から第5位となってしまった。
さらにその後も毎年減額を続け、今年度予算ではさらに対前年1割減、500億円を減らすことに決まった。今や対GNI(国民総所得)比では、アメリカと並んで先進国中最下位である。私は、今回の各国の支援は、過去、日本がODAや災害支援や民間NGOの諸活動など他国に対しいろいろな貢献をしてきたことの結果でもあると思う。ここにこれからの日本と世界の係わり合いの基本が示されている。
一方で、在日米軍海兵隊の活躍が大きく報道され、政府は再三にわたり感謝の意を表している。瓦礫の山に向かい、原発事故への対処に当たり、被災住民への優しい笑顔の海兵隊員の姿は、「ともだち作戦」の名にふさわしい。戦争の際の突撃部隊としての訓練や、核戦争への対応としての放射能に対するノウハウが生きている。ただ、私には違った姿にも見える。
見方を変えれば普段はめったにできない、自衛隊との共同作戦訓練を、大震災を思いがけないチャンスとして賞賛されつつ実施しているとも見える。沖縄の全島挙げての普天間基地反対運動への対策として、「やはり海兵隊にいてもらう必要がある。」との世論づくりにも思える。
この活動の最中に、新聞は小さな記事で「北沢防衛大臣が、米軍への思いやり予算(2千億円弱)の5年間継続を伝えた。」と報じていた。「ともだち」ならば、この非常時に「思いやり予算」を辞退するだけでなく「逆思いやり予算」を出すべきでないか。
米軍の作戦行動のネーミングには、自己正当化かつ本質を隠す間違ったものが多い。アフガン侵攻は、当初「無限の正義作戦」と名づけられ、不評のため「不朽の自由作戦」に変更された。そしてあのイラク戦争は「イラクの自由作戦」と名づけられた。
日本は安全保障政策の基礎を、アメリカの覇権主義の片棒を担ぎ、国民に「仮想敵国」を煽り、沖縄の人たちを犠牲にした米国との同盟路線に置いている。中国の軍事力の拡大を睨み、軍産複合体国家アメリカの軍事的要求に応える路線は、将来を見れば不可能であり、すでに限界が見えている。
中国の軍拡は今後も経済の拡大とともに進むであろうし、それを抑えようとするアメリカの日本への軍事的要求はさらに高まるであろう。一方、日本の人口は、2004年をピークとし、減少を続けており、2050年には、総務省予測でも9500万人となり、そのうち65歳以上が40%を占めるとされる。当然、経済規模も相当縮小していく中でアメリカの要求には応えられないし、応えるべきではない。
現在の対米同盟深化路線は、憲法九条の「戦争放棄」の理念そのものの放棄に繋がる道であるばかりでなく、今後の人口や経済の実態から見ても、到底続けられない。
日本は今こそ憲法に帰ろう。日本の安全保障政策において深化すべきは対米同盟ではなく、世界各国の人々との「公正と信義」を基礎とする絆つくりである。安全保障政策を大転換すべき時期に来ている。