オバマ政権時代の米国を見つめて③トゥーソンの悲劇と銃社会の現在
                                 名古屋市立大学准教授 平田雅己


 2011年新年早々、痛ましい銃乱射事件が発生した。1月8日、アリゾナ州トゥーソンのスーパーマーケット前で開催されていた政治集会にて、22歳の若者ジャレッド・リー・ロフナーが銃を乱射し、6人が死亡、会主催者で民主党のガブリエル・ギフォーズ連邦下院議員を含む19人が重軽傷を負った。至近距離から後頭部を撃たれたギフォーズ議員は奇跡的に命を取り留め、現在、宇宙飛行士の夫マーク・ケリーの勤務先であるテキサス州ヒューストンにてリハビリ治療中である。

 

 私はこの米国滞在中に必ずまた大きな銃乱射事件が起こるものと予想していた。それというのも、この国の銃規制状況はこの10年あまりで大きく後退し、最近は規模こそ違え類似の事件が毎年のように頻発しているからである。前ブッシュ政権時代の銃器政治は、特に9/11同時多発テロ事件を契機とする社会の保守化傾向に強い影響を受けた。
 その結果、時限立法である1994年攻撃用武器禁止法の失効と延長の失敗(2004年)、違法銃器の追跡調査に必要とされるアルコール・タバコ・火器局(ATF)の銃器データの開示制限を定めたティアハート修正条項の通過(2004年)、銃砲業者の製造責任を問う訴訟の禁止を定めた合法武器取引保護法の制定(2005年)といった規制緩和を促す一連の立法措置がとられた。
 厳しい銃規制下の生活を当然視している日本人の多くにとって、こうした動きは誠に理解しがたいものであろう。ちなみに日本では、2007年12月に発生した長崎県佐世保市のスポーツクラブで発生した銃乱射事件を契機に、特に猟銃の所持要件を厳格化する改正銃刀法が2009年12月に施行されている。

 

 銃に関する米国社会の異質性は数字を見れば明らかである。スイスのジュネーブ国際問題研究所が発表した2007年度版小型武器調査報告書によれば、現在世界に流通する銃の総数は約8億5000万丁、うち民間人が所有する銃は約6億5000万丁と推定されている。民間人所有銃数が最も多い国は米国が圧倒的で約2億7000万丁、2位がインド(約4600万丁)、3位が中国(約4000万丁)となっている。
 またカナダのライアーソン大学が2007年に行った銃犯罪発生比率に関する国際調査によれば、銃による人口10万人あたりの犠牲者数が最も多く突出しているのがやはり米国で4.0人、2位がイスラエルで1.2人、以下、ノルウェーが0.65人、ポルトガル0.65人、カナダ0.51人と続いている。日本は0.02人とほぼゼロに近い。
 トゥーソン銃乱射事件を特集したTIME誌(1月24日付号)によれば、この1年間に米国で死亡した銃の犠牲者数は3万1224人で、その原因をみると自殺が最も多く1万7352人、次に殺人事件で1万2632人、事故が613人となっている。また銃で命を落とした未成年者は3067人となっている。

 

 こうした数字を示すとあたかも米国社会全体が銃犯罪の巣窟となっていて、人々は日々怯えながら日常を送らなければならないかのようなイメージを抱くかもしれないが、銃社会の現実は州や地域によって大きく異なる。現在私が生活するワシントンDCを中心とする首都圏では毎日のように、銃絡みの殺人事件報道が流れているが、発生しやすい地域はDC中心部よりも東南部とほぼ決まっており、そのような地域に不用意に足を運ばなければ、日常生活に特段支障はなく、平和に暮らすことができる。
 今回事件が発生したアリゾナ州は、古き良き西部開拓時代の伝統に立脚し、銃の権利意識が特に強い保守的な土地柄にある。連邦法では21歳以下の拳銃購入が禁止されているが、アリゾナ州法では18歳以下と緩い。1910年に制定された銃所持に関する州法は個人の権利としての武装権が明記してある。銃権利擁護団体の全米ライフル協会(NRA)の支持者も多く、彼らの政治的働きかけにより、昨年の州議会にて当局による許可なしで銃を隠し持つことができる法案が可決された。ヴァーモント州、アラスカ州に続いて全米で3州目の立法措置である。
 現在アリゾナでは、州の庁舎であれ、レストランであれ、事実上どこでも自由に銃が携行できる状況にある。事件から1カ月後の今月上旬、私はたまたま休暇で同州のセドナを訪れていた。日本では最近、某芸能人の来訪により、パワー・スポットとして一躍有名になった町である。銃犯罪とはほぼ無縁のこの平和な観光地の土産屋にて、あるステッカーの文字が目に入った。「犯罪者はいつも無防備の市民を狙っている(Criminals always prefer unarmed civilians)」というスローガンに州民の武装意識の強さを感じた。悩ましいのはアリゾナよりも遙かに厳しい銃規制法を有するワシントンDCの方が銃犯罪の発生率が高いことだ。

 

 米国社会は今回のような事件に慣れっこで無反応だったかといえば、そんなことはない。現職の国会議員が巻き込まれたとあって、メディアは事件を連日こぞって大きく取り上げ、特にニューヨーク・タイムズ紙やワシントン・ポスト紙といった主要紙では銃規制強化を求める論調が目立った。ただし銃規制といっても日本的な刀狩を主張しているわけではない。米国民の多くにとって銃所持は憲法修正2条に規定された武装権の象徴であり、また狩猟や射撃の愛好者たちにとっては継承すべき文化と受け止める傾向が根強い。
 米国社会において銃犯罪が急増する1930年代以降現在に至る銃規制をめぐる論争は、基本的に国民の銃所持の権利を尊重しながら、銃を悪用する人間の手に銃が渡らないようにするにはどうすればよいかという点に主眼が置かれてきた。国際政治の用語に喩えれば、「軍備縮小」ではなく「軍備管理」のあり方を懸命に議論しているわけだ。しかし、残念ながらそのレベルでさえも有効な手立てを打つことができずにいる。
 これまで銃規制に関し、4つの主要な連邦法が成立したが(うち1法は失効)、運用上の問題や抜け穴があまりに多く「笊(ざる)法」と揶揄されても仕方のない状況が続いている。

 

 今回の事件でロフナーは犯行に使用した銃を合法的に入手した。しかし、この合法性にこそ、今日の米国の銃規制法が内包する諸課題が集約されている。
 ロフナーは事件発生以前に、薬物常習を理由に陸軍への入隊を拒否され、度重なる異常行動を理由にコミュニティ・カレッジから停学処分を下されている。彼のような薬物常習者あるいは精神疾患者は、1968年銃規制法が規定する重犯罪者や不法滞在者と並び銃所持禁止対象者であり、1993年ブレイディー法で義務化された銃販売時の身元確認制度を通じ容易にその購入が阻止できたはずである。
 しかし、彼は地元の銃砲店にてその審査をいとも容易にパスしてしまった。それはひとえに連邦捜査局(FBI)が管理する身元照会データベース(NICS)に彼の情報がなかったからである。彼は2007年に薬物所持による逮捕歴が一度あったが、その際、更生プログラム参加を条件に裁判所から不起訴処分が下されている。実際に彼はその過程を無事済ませているため、NICSの対象にはならない。仮に有罪であったとしても、この件に関しNICSは過去一年分の記録しか対象にしておらず、古い彼の記録が銃器購入時に残っているはずがない。彼の入隊を拒否した陸軍の判断はもっぱら本人の証言のみによるものだったが、その情報を軍がNICSに提供する義務はない。精神疾患歴がNICSの対象になるには裁判所による認定が必要である。彼の場合、その認定はおろか、まともな治療措置すら施されず野放しになっていた。

 

 ちなみに上述したブレイディー法において、州当局がNICSに情報を提供する義務は規定されていない。これは米国の連邦政治制度の特徴でもあるが、州毎の法律・財政・政治事情の違いに配慮し、その対応は任意にまかされている。明らかな犯罪者の記録は各州の法執行機関からNICSに集まりやすいが、人権やプライバシーに関係する精神疾患者の記録は集まりにくい現実がある。
 2007年、32人の命が奪われた米国史上最悪の銃乱射事件がヴァージニア工科大学で発生した際、犯人のチョ・スンヒは裁判所の認定を受けた重度の精神疾患者だったが、ヴァージニア州はその記録をNICSに提供していなかったため、彼は合法的に銃を購入することができた。この事態を重く受け止めた連邦議会は2008年、情報提供に積極的な州に連邦予算を配分するブレイディー法の修正法案を可決したが、それでも精神疾患に関する情報を提供する州は全体の3分の1ほどに留まり、公的認定を受けた患者(全米で約200万人)の約8割がNICS未登録のままであるといわれている。

 

 ロフナーは半自動式拳銃Glock19を購入し、犯行時、15秒間に31発を乱射した。もし2004年に失効した攻撃用武器禁止法が延長されていれば、その被害を最小限に留めることができたはずともいわれている。攻撃用武器とは警察や軍が使用する殺傷能力の高い銃のことを指し、半自動式拳銃はこの種類に属する。1994年に制定されたこの時限立法は攻撃用兵器の製造・輸入を禁止し、すでに流通している銃に関しては11発以上の銃弾の連射を可能にする弾倉の使用を禁止していた。ロフナーは30発以上の連射が可能な弾倉を使用していた。実はこの法律復活を求める強い声が隣国からも出ている。
 現在メキシコでは2006年以降、カルデロン政権の麻薬組織取締強化策に端を発する麻薬戦争が泥沼の様相を呈し、過去4年間で3万人以上の国民が亡くなるという内戦に近い異常事態が続いている。実はマフィアが使用する軍用銃の大半が米国製で国境を越えて流入しているため、メキシコ政府はオバマ政権に対し一層の規制強化を求めているのだ。銃に関する米国のお家事情は、今や外交関係をも揺るがす事態に発展しているのである。

 

 オバマ政権登場にあたって、個人的に最も強い期待を寄せていた政治課題が銃規制対策だった。オバマは前述した規制緩和の政治風潮に抗うべく、2008年大統領選挙にて、攻撃用兵器禁止法案復活を含む銃規制強化を公約に掲げていた。元来、民主党は銃規制を含む社会規制的公共政策の実施に積極的な政党であるが、近年は特に1990年代半ば以降のNRAの政治的台頭、影響力の拡大に怯え、銃規制を政治争点化すること自体すら拒む姿勢を取り続けてきた。そんな閉塞感が漂う折、NRAによる史上最大の反オバマキャンペーンをものともせず、大統領に就任したオバマは銃規制派にとって希望の光だった。
 しかし、「現実主義的理想主義者」のオバマは就任後、経済・雇用・福祉政策を最優先課題とし、党派性の強い厄介な銃問題は後回しにする姿勢を示し続けた。先の中間選挙では、野党共和党が勝利を収め、この問題の進展がさらに期待しにくい政治環境が生まれてしまった。そんな状況下での今回の悲劇の発生である。
 これまでアリゾナで開催された追悼集会演説そして一般教書演説と二度、オバマがこの事件に触れる機会があったが、いずれも銃規制に関する言及はなかった。ホワイトハウス側近の話によれば、大統領はいずれこの問題に特化した演説を行うという。それがいつになるのかはわからない。そのタイミングが次の悲劇でないことを祈りたい。                              (2011年2月22日)