「辺野古を考える」~藤本監督全国上映キャラバン
-映画を見て、トークを聞いて思ったこと。 愛高教・林 泉(実行委員)
私の沖縄との出会いは、灰谷健次郎の『太陽の子』だったのかもしれない。
「学べば学ぶにつけ沖縄に存在する米軍がすべて連携し、抑止力を維持できるという思いに至った」と鳩山氏が説明したのが昨年5月。その鳩山氏が、「抑止力という言葉は辺野古移設しか残らなくなった時に理屈付けするための方便だった」と最近明かしたとか。沖縄の米軍基地の国外・県外移設など発想しない官僚、政治家がいる一方、アメリカ議会は「海外駐留削減と海外基地閉鎖」の議論を始めているという。かつての年上の同僚は、「日本はアメリカの属国ですから」が口癖だった。沖縄の米軍基地の問題をめぐって常につきまとう私自身の後ろめたさともどかしさ。
藤本監督たちの映画は投げかけてくる。直球だ。将来の日本の若者達を案じて闘争を続ける辺野古のお年寄り達の言葉を、どれだけの日本の人々が受け止められるか。基地に関する問題は、日米関係という、庶民からは遠い問題を抱えてはいるものの、やはり日本の人々の問題である。政治家の日々の言動を見るにつけ、私たちが属する組織の末端で日々起きていることを見るにつけ、考えながら前に進むということが、なぜこんなにもできないのかと思う。想像力の失せた人々が、身近な人の足をひっぱって溜飲をさげている姿だけが妙にクローズアップされてくる。