原爆の図展を終えて◆ 巡回と一巡
戦争と平和の資料館ピースあいち館長  宮原 大輔




 ピースあいちとしては6回目となった「原爆の図展」が無事に終わりました。
 今回は、原爆の図第3部《水》と第14部《からす》の2作品を展示しました。原爆の図だけでなく、丸木スマさんの代表的な作品3点と、1950年代に原爆の図が全国を巡回したときの愛知に関係する資料を展示しました。

 また丸木スマさんが残した言葉である「ピカは人がおとさにゃおちてこん」を丸木位里さんが描いた色紙も展示され、この言葉は展示会の副題になりました。
 あまり広くはないピースあいちの展示室に、これらの作品や資料がぎっしりと詰め込まれたような展示会でした。

 スマさんの作品を展示するのは初めてでしたが、《ピカのとき》《内海の魚》《花と猫》という代表的な作品を展示できました。これらの作品には丸山章子さんによる解説文が付き、読む人をスマ作品の世界に導いてくれました。

 これまで5回の原爆の図展のなかで、第1部《幽霊》と第2部《火》が来ていますので、今回の第3部《水》で、原爆の図初期3部作はピースあいちに来たことになります。
 第14部《からす》は、前年に描かれた《米兵捕虜の死》と合せて、日本人以外の原爆犠牲者が題材になったものです。会場に置いてあった「美しいチョゴリ、チマが。飛んで行く朝鮮、ふるさとの空へ。」という詞書きと絵が一体となって心に残りました。

 今回は1950年代の前半期に原爆の図が国内を巡回した展示会の資料の中で、愛知に関係する資料を展示しました。
 展示した資料は写真、ポスター、パンフレット等16点でした。写真では、岡崎駅で原爆の図の到着を歓迎する学生と思われる人たちや、会場の前で解説を聴く大勢の子どもたちの姿がありました。
 ポスターやステッカーを見ると、主催者は愛知大学新聞部となっています。5か所での開催の多くに愛知大学新聞部が関わっていて、中心的な役割を担っていたことが見て取れます。
 愛知の巡回展を説明した会場パネルから会場と来場者数を書き出してみると、

1952年 4月26日~29日  豊橋市 豊橋中央公民館 17,000人
1952年 5月3日~7日 名古屋市 商工館ホール 14,000人
1952年 6月7日~11日 岡崎市 タカハシ百貨店 10,700人
1952年 7月11日~13日  碧南市 大浜上区公民館 12,000人
1953年 5月29日~6月7日 名古屋市 広小路名宝ホール 25,000人

 となっています。約1年間のうちに5つの会場で開催され、合計で8万人近くもの市民が原爆の図を見に来ていました。会場が美術館や博物館ではなく、ホールや公民館、百貨店だったことも特徴です。

 この度の1950年代に行われた原爆の図展の資料展示は、「原爆の図と愛知」について考える機会になりました。
 愛知ではその後1986年に「丸木位里・丸木俊原爆の図愛知展」が開催されています。名古屋の中心部にある愛知県美術館で開催された展示会は、原爆の図8作、沖縄の図(8連作)の他、原爆の図デッサン50点、絵本「ひろしまのピカ」原画24点、中国の風景画40点もの多くの作品が展示されました。
 2月28日から3月8日までの9日間の会期に、21,405人もの入場者がありました。
 1980年代の反核運動の高まりを引き継ぐ形で、またこの時期に各地で「原爆の図」の展示会を市民が開催するムーブメントがあったことと関連していました。「原爆の図を見る会」という主催者名が特徴でした。
 1950年代の原爆の図展とこの展示会は直接の関連はありませんでしたが、30余年を経ての原爆の図展でした。

 この原爆の図展に集まった人たちは、やがて愛知に「戦争メモリアルセンター」を作る運動を始めました。1993年に県内各界の著名な方々の賛同を得て「愛知に戦争メモリアルセンターを」と呼びかけました。その活動は、2007年に「戦争と平和の資料館ピースあいち」の設立として実を結んだのです。
 ピースあいちでは2012年にはじめて「原爆の図展」を開催しました。展示室のスペースでは原爆の図は2作品に限られます。このときは第5部《少年少女》と第12部《とうろう流し》でした。1986年以来約30年ぶりのことでした。(ほかに県内の美術館で展示されたこともあります)
 それ以来、今年の第6回までで9作品が来たことになります。1950年初頭に初めて原爆の図が愛知に来てから3四半世紀が経ちました。原爆の図は今も愛知を巡回していると思えてなりません。
 今後何年かかるかわかりませんが、第15部《長崎》(長崎原爆資料館が所蔵)を除く原爆の図全14部が愛知を一巡すること、愛知を巡回することを目指したいと思っています。
 残る5作品は次の通りです。
 第6部《原子野》(1952年)、第7部《竹やぶ》(1954年)、第9部《焼津》(1955年)、第10部《署名》(1955年)、第13部《米兵捕虜の死》(1971年)

付記 これまでの原爆の図展
①2012年7月28日~8月31日 丸木位里・俊原爆の図展
  第5部《少年少女》、第12部《とうろう流し》
②2016年3月15日~5月7日 原爆の図展
  第4部《虹》、第8部《救出》
③2017年2月14日~3月25日 原爆の図と原爆の絵展(ピースあいち10周年特別企画)
  第1 部《幽霊》、広島市民が描いた原爆の絵、
④2018年7月24日~9月2日 高校生が描くヒロシマと丸木位里・俊「原爆の図」
  第11部《母子像》
⑤2020年2月4日~3月28日 丸木位里・俊「原爆の図」と大津定信展
  第2部《火》
⑥2026年7月21日(火)~9月5日(土) 丸木位里・丸木俊「原爆の図」展―ピカは人がおとさにゃおちてこん―
  第3部《水》、第14部《からす》