夏の日
永井 孝昌 (名古屋市中区在住)




 8月の半ば、午後のまだまだ暑い時、戦争と平和の資料館「ピースあいち」へ知人と訪れた。この時は「丸木位里・俊」ご夫妻の「原爆の図」の展示だった。何十年ぶりだろうか?
 40年ほど前になると思うが、埼玉は東松山市の「丸木美術館」を友人と訪ねてご夫妻にもお目にかかれた。今回「ピースあいち」では第三部「水」の展示だったが、「原爆の図」を思い浮かべると、焼けただれた大人の足元に横たわる「赤ん坊」を思い出す。

 70年も前の小学5年の時、担任の先生から「原爆の図」の写真集をみせてもらった。おぼろげな記憶だが裸の人たちがぞろぞろと歩く、赤い火が燃えさかる中を列をなして歩く姿は怖かった思い出が残る。
 そんな大人の歩く足元に生まれたばかりなのか? 赤ちゃんが横たわっていた。
 先生から「この赤ちゃん、生きていれば君たちと同じ年齢なんだよ」と言われたことは鮮明に残る。先生の提案もあったと思うが、この「原爆の図」を5年1組、みんなで描こうということになった。今思えば「模写」だが、当時はひとクラス50人くらい、夏休みに講堂で何日も何日も、ワイワイガヤガヤ賑やかに描いた。畳二枚分くらいの大きな紙に3組か4組に分かれて墨をすり、赤い絵の具で騒ぎながら描いた記憶だ。
 丸木ご夫妻の描かれた赤ちゃんの近くには描かれてないが、僕らは赤ちゃんの近くに「縫い包み(ぬいぐるみ)」を供えるように描いたことを思い出す。

 この子どもの描いた「原爆の図」の模写は、愛知は岡崎市美合町の「徳応寺」さんに保管されている。有り難い事に、当時のご住職さんが掛け軸に表装して70年近くも保管し、夏になると8月6日、広島にピカドンが落とされた日から本堂で展示をしていただいている。

 参考リンク: 徳応寺に保管されている「原爆の図」模写 (丸木美術館ホームページ)

 今年も5年生の頃を思い出しながら拝見に伺った。本堂いっぱいに今も鮮やかに墨の匂いが伝わってきそうな模写だった。ちょうど幼稚園くらいの娘さんを連れたお母さんが「娘にこの原爆の図を見せたかった」と西尾市からいらしていたが、大事なことだと感心をした。
 毎日のようにTVでウクライナや中東の悲惨な映像を見ても、ニュースの一場面としかみていない自分がいる。

 

 80歳になる自分も戦争の経験はない。ますます物語のように戦争を語ることが多いなかで、「ピースあいち」や「徳応寺」さんでの出来事を我々大人が後世に伝えていく役割があるのでは、と改めて感じることができた「ピースあいち」「徳応寺」の訪問だった。