熱田空襲を語り継いで思うこと
ボランティア・戦争体験を語り継ぐ会 田中 玲子
私はピースあいちの「戦後75年記念事業・戦争体験の語り継ぎ手募集」に応募し、熱田空襲の語り継ぎをしています。何を、どのように語り継ごうと考えた時、私が父の戦争体験を聞けなかったことが応募動機であり、それをふまえ、当時若かった方々の戦争体験を語り継ごうと考えました。
私は熱田区に住んでいることもあり、近くで起きた“熱田空襲”を選び、学徒として体験した堤さんのお話と愛知県巡査として救助活動をした桜井さんの戦争絵で語り継ぎをしています。
1945年6月9日、米軍が愛知時計電機・愛知航空機を襲った空襲は8分間に2,000人を超える人が亡くなった悲惨な出来事です。
工場を爆撃するために使われた2トン爆弾は巨大な爆風を発生させ、スティール製の爆弾本体がバラバラに砕け、広い範囲に破片を飛び散らす破壊力が極めて大きいものでした。また、空襲警報のミスも加わり、学徒動員で働いていた若者、工場労働者が酷い最期をとげました。
令和6年度、戦争体験語り継ぎ手の会(現 戦争体験を語り継ぐ会)の中村さんが私の住んでいる学区の旗屋小学校で、平和学習支援事業として、名古屋空襲・熱田空襲を最初に話されたことを知り、ぜひ私もと思いました。
自分たちが住んでいる近くで起きた空襲を知ってほしい、また空襲の後、この学校には学徒動員された死傷者が収容されており、遠くで起きた出来事ではありません。
これは自分で営業あるのみと考え、学校にお話したところ、快諾してくださいました。

当日、私が保存されている被爆堤防の写真を映した時、何人かの児童が「あっ!」「知ってる!」と声を上げました。私も語り継ぎ手になる前、何度かこの被爆堤防を気にせずに通りすぎていましたが、空襲を調べ、この堤防を見た時、コンクリートをえぐった爆弾の威力が迫りました。同じように、子どもたちの「あっ!」が、自らの気付きであって欲しいと思います。
熱田区内でもう一校語り継ぎたいと考えていたところ、今度はピースあいちに熱田区の千年小学校から依頼があり、今年2月に話すことができました。
堤さんは戦争体験を語ることについて、「こんな平和になっていたら、通じるはずがない」と話されています。私も自分が生きていない時のことは実感がわきませんが、戦争体験者の証言を聞き、関連した本を読むなどしているうちに「そうか!」と感じる時があります。語り継ぎが、子どもたちにとって戦争を記憶し、平和を考える機会の入口となることを願っています。