看過できない暴言 ― 問題の本質は
名古屋市立大学名誉教授・当NPO理事 阪井 芳貴
戦後80年という節目だからなのか、さまざまな、耳目を疑いたくなる言説が横行している。節目だからこそ、姿勢を正して真摯に歴史の真実に向き合うべきなのに、沖縄戦や戦後沖縄の平和教育をめぐり、それとは真逆の立場からなる発言が次から次へと飛び出してきた。沖縄の人々、とりわけ沖縄戦体験者や平和教育に携わる人々の困惑・哀しみ・怒りはいかばかりであろうかと、心が痛む。
筆者はたまたま西田昌司参議院議員の発言の問題が明らかにされた直後に沖縄に滞在し、し かも数年ぶりに、家人のリクエストによりひめゆり平和祈念資料館と沖縄県平和祈念資料館、平和の礎などを巡っていた。家人は、かつて私の国内留学に付き合って一年間ほど沖縄に住んでいたことがあるが、平和系資料館や戦争遺跡を訪れたことはなかったのである。
現今の世界情勢および国内の状況に心を痛め、沖縄に行ったら、そうした場所を訪れたい と心に決めていたようであった。それが今回実現したのだが、このタイミングで、ひめゆり平和祈念資料館の出口で待ち構えていた沖縄テレビの取材クルーにインタビューされる ことになってしまった。
展示内容に想像以上に心を傷めていた家人は、突然の問いかけに半泣きで、ひとこと答えるのがやっとだったので、それを引き取って私が西田発言の問題点とそれをどう受け止めたかを数分にわたり申し述べたのであるが、その一部が当日夕方と二日後のニュース番組で放送され、私の予想以上に大きな反響を呼ぶことになった。それで、こうしてあらためて原稿を書くことになったのである。

左手奥:ひめゆり平和祈念資料館
前置きが長くなってしまったが、まず、西田発言の問題点は何かを指摘しておく。報道によれば、西田議員は、5月3日に那覇市内で、神道政治連盟県本部と県神社庁、日本会議県本部でつくる実行委員会が開催したシンポジウムにおいて、次のように発言していた。
これから本当に非常緊急事態が出てくる前に、みんながやって、こういうその国民保護できるためのですね、法律の整備をしなきゃならないんですけれども、そのためには、まずはやっぱり我々の自民党の議員が、国場先生(※国場幸之助衆議院議員)も含めて、これからこういう間違ってきた戦後の教育とかね、このデタラメなことをやってきたというのをやらなきゃいけない。
特に沖縄の人に私はお願いしたいのはですね、かつて私もなんかひめゆりの塔ですかね。なんか何十年か前ですね、まだ国会議員になる前でしたけれども、お参りに行ったことあるんですけれども。あそこ、今どうか知りませんけどひどいですね。 あのひめゆりの塔で亡くなった女学生の方々がね、たくさんおられるんですけれども、あの説明のしぶり、あれを見ていてると、要するに日本軍がね、どんどん入ってきて、ひめゆりの隊がね、死ぬことになっちゃったと。そして、アメリカが入ってきてね、沖縄は解放されたとそういう文脈で書いてるじゃないですか。あそこは。そうするとね、あれで亡くなった方々、本当に救われませんよ、本当に。だから歴史を書き換えられるとこういうことになっちゃうわけですね。そして、沖縄の中では今の知事さんもおられますけれどもね、そういう話では、結構それなりの市民権を持っているわけですよ。
これは我々京都の中でもですね、共産党が非常に強い地域ですけれどもね。ここまでなんていうか、間違った歴史教育は、まだ京都ではしてません。沖縄の場合にやっぱり地上戦の解釈を含めてですね、かなりむちゃくちゃなこの教育のされ方をしてますよね。
だからそのことも含めてもう一度、我々自身がですね自分の頭で考え、自分の頭で物を見てですね、そしてその流されてる情報が、何が正しいのかどうかということをですね、自分たちで取捨選択してそして、自分たちが納得できる歴史を作らないといけないと思いますよ。それをやらないと、日本は独立できないんです。 (アンダーラインは筆者による)
アンダーラインを付した箇所が、特に問題になる部分なのであるが、「ひめゆりの塔」に言及した箇所について、あいまいな記憶で発言したことがまず責められるが、すでに多くの指摘があるように、「ひめゆりの塔」にも「ひめゆり平和祈念資料館」にも、現在も過去にも、そのような説明・記述はないのである。かかる事実誤認に加えて、そうした決めつけをもとに戦死した人々が報われないという、自分こそが犠牲者に寄り添っているのだという姿勢はとうてい許すことはできない。
さらに、沖縄県の戦争史記述と平和教育を「でたらめ」「むちゃくちゃ」と具体的根拠なしに批判し、「歴史を書き換え」ていると決めつけている点は、看過できない暴言である。最後のアンダーラインの部分の発言は、まさに自らが「歴史を書き換え」ると宣言しているようなもので、そこには、みずからの歴史認識しか認めないという独善的かつ暴力的姿勢しか見えない。典型的な歴史修正主義者の姿勢を露呈しているのである。
西田議員は、ことが大きくなり、身内からも批判が高まったことで、謝罪に追い込まれ、 問題のある部分は訂正・削除すると述べたが、自らの認識は間違っていないとも述べ、まったく反省は見られない。
それに加えて、最も大きな問題点は、ひめゆり平和祈念資料館のみならず、戦後80年かけて沖縄戦およびその延長線上にある米軍基地問題に対峙してきた沖縄県民、戦争体験者、米軍基地問題に苦しむ市民、沖縄戦研究者や平和教育・市民運動に携わってきた人々、さまざまな表現者たちの真摯な想い・非常な努力・大きな成果を踏みにじっていることである。
とりわけ、沖縄戦については、体験者の証言にもとづく記録・記述の蓄積が、他県のものとは比較にならぬ厚み重みをもって、いわば沖縄県民の財産となっているのである。それが土台となって、沖縄から平和・非戦を発信し続けていることを、西田議員やこの発言に同調する人々は顧慮していないと言わざるを得ない。これは、非常にゆゆしき問題である。
西田発言のあとにも、数人の議員たちによる沖縄戦の本質への誤った認識による発言や、 沖縄の自衛隊内部での隊員教育の教材に見られる沖縄戦賛美ともとれる表現など、次々に 問題が発覚している。もはや異常事態である。
こうした異常事態に接し、あらためて、戦争体験の継承と歴史が示す戦争の真実の把握 と理解、省察がすべての国民に課せられているとの認識をあらたにすることになった。ピ ―スあいちは、その意味で、重要な拠点であり、発信地であるのである。