その地に行けばこそ◆ピースあいち訪問記
ピース・フィロソフィーセンター代表  乗松 聡子




 

 その地の戦争記憶とは、やはりその地に行ってみてこそ実感として感じ取れる。3月28日のピースあいちへの訪問でそう感じました。
 名古屋市は、軍用機生産の拠点であったことから、63回も米軍の空襲を受け、8千人近くの民間人が殺されたとのことです。一晩にして約10万人が殺された1945年3月10日の東京大空襲よりも、一人当たりの爆弾の数は多かったというほど、凄まじい空襲の連続だったということです。私は自分の無知を恥じました。

 ピースあいちでも展示されている「被害」と「加害」の展示についてですが、大日本帝国による70年余りの侵略戦争の歴史はまさしく「加害」戦争の連続でした。その終盤において米軍は日本の軍施設および民間人を標的にして全国で都市空襲を行い、多くの民間人が殺されました。
 その「被害」の中には、植民地支配と侵略戦争のゆえに日本で労働・強制動員させられていた朝鮮人の人たちがいました。「加害」戦争ゆえの「被害」であったのです。展示を見ながら、「被害」と「加害」の概念の複雑性について考えていました。

 ピースあいちでは、日本の侵略戦争の歴史の記述も「戦争の全体像」として展示を試みています。日本の公立の平和のためのミュージアムにおいては、「南京大虐殺」という言葉を使うことも問題視するような風潮が増しており、これは日本政府が再び戦争への道を歩んでいることと無関係ではないと思います。
 ピースあいちにおいてはこの「南京大虐殺」もその名の通り記述しており、歴史に誠実であろうとするミュージアムであると思いました。

 娘と一緒に見学していて、声をかけられました。井戸早苗さんという、6歳で名古屋空襲を体験されたボランティアの方でした。父母から、お前だけは生き延びろと防空壕から出され、一人で生き地獄の中を逃げたといいます。
 井戸さんは展示の「防火訓練」の写真を指差し、「こんなバケツリレーを私もさせられていたのですよ。何百機もの爆撃機が来ていたのに!」と、愚かな戦争に突入した日本を非難しました。そして、「私たちがどういう人をリーダーに選ぶか。世界を知り、歴史を知ること」の重要性を強調されました。

 ピースあいちは、名古屋という地で、井戸さんが言うような非戦のための教育および、戦争を起こさせない社会を作る若者を育成するミュージアムなのだと思いました。展示内容もQRコードで即座に英語解説が出せるというシステムを開始したということで、他の平和ミュージアムも参考にできる試みだと思います。
 ピースあいちについて説明してくださった宮原大輔館長、常に子ども目線を大事にしながら館内を案内してくださった丸山豊理事に感謝いたします。「もう一つの学校」としてのピースあいちをこれからも応援したく思います。