名古屋空襲から79年、空襲犠牲者追悼の夕べ◆3月23日
ボランティア  小澤 美由紀




 

 3月23日(土)小雨が降る中、ピースあいちにて「名古屋空襲から79年―空襲犠牲者追悼の夕べ」が開催されました。追悼の夕べは2部構成。


第1部は「語り継ぎ」

 石川薫さんが、「杉山 千佐子さんの1945年3月25日の空襲体験~失ったものと未来へ伝えたいこと~」の語り継ぎを披露してくださいました。
 石川さんが語り継ぎを終えた時に思わず「杉山さん、つよい方ですね」と言葉が出てしまいました。映像で映し出される杉山さんの姿は、モニター越しでも、その声、言葉から杉山さんの強い気持ちが伝わってきた。そして、その杉山さんに寄り添うように石川さんの柔らかい声と言葉が加わり、お二人の気持ちと言葉が心にすっとしみ込んでくる。

 最後、石川さんが杉山さんの書かれた詩「生き証人」を朗読され、その中の一節「そこは戦場であった 海の向こうと 同じ戦場であった」この言葉が強く印象に残りました。今、この瞬間にも同じようなことが起こっている。
 印象に残ったといえば、突然のリクエストにも関わらず、語り継ぎが始まる前に高校生ボランティアの二人も皆さんの前で自身の話を披露してくれました。山内さんは戦争に関心を寄せたきっかけや思い、黒田さんは自身の思いや戦災犠牲者に対するドイツの手厚い補償のことなど、学校で習わないようなことでも、二人とも自分で調べ考え学んでいるのだな、と感心しました。
 「自分が大切と感じることに対して」学生時代のほろ苦い記憶を思い出しながらも、世代は変わっても大切な思いは変わらないのだと実感し、新しい仲間を嬉しく思いました。



第2部は平和地蔵さまの前でともし火法要

 ともし火法要が始まる頃には、しとしとと降っていた雨も上がり晴れ空に変わっていました。
 お地蔵さまの前に平和への願いを書いた手作りランタンを並べ、あかりを灯し、お坊さんがお経をあげる中みんな並んでお参りをしてゆく。法要を終え振り返ると、お地蔵様もその時の空のようににっこりとほほ笑んでくださっているような気がしました。