「名古屋空襲を知る―名古屋平和の日に寄せて」
運営委員  金子 力




                                           
 

 戦時下、勤労動員中に名古屋空襲で犠牲になった学生のことを忘れまいと慰霊祭を続けてきた学校が名古屋市内にあります。東邦高校の生徒会は2014年から名古屋空襲慰霊の日の制定を名古屋市に申し入れてきました。その声が名古屋市、名古屋市議会にようやく届く日がやってきました。3月21日、名古屋市議会において全会一致で「なごや平和の日」を5月14日とすることが決まりました。名古屋空襲で犠牲となった方々の慰霊を名古屋市として行うのは初めてのことです。

展覧会場の様子1

 ところで、名古屋空襲についてまだわからないことがたくさんあります。空襲の回数についても10数回から63回まで諸説あり、空襲犠牲者数も公的資料を見ても様々な数があります。その裏付けとなる名簿は軍人や軍需工場などへ動員された人を除くと一般市民の名簿は無く、一部の地域に建てられた空襲慰霊碑に刻銘された方や寺院の墓地に刻まれた方の名前があるのみです。名古屋空襲の犠牲者調査はまだ終わっていないのです。
 さらに、名古屋空襲とは何だったのか、アメリカは名古屋上空で何をしようとしていたのかを明らかにすることも大切です。地上の体験を裏付ける日米の公的資料の分析も近年始まったばかりです。戦中・戦後にアメリカが作成した膨大な資料が国会図書館デジタルコレクションなどで閲覧できるようになっています。また、国土地理院空中写真閲覧サービスでは、戦時中から戦後にかけてアメリカや日本陸軍が撮影した写真をだれでも自由に見ることができます。アジア歴史資料センターがデジタル公開している日本側の公文書の中にも、空襲や戦争に関する資料が眠っています。

 
展覧会場の様子1

 こうした資料の活用によって、個人の体験が歴史的に位置づけられることも可能となります。例えば1945年7月26日名古屋市内の上空に侵入した1機のB29の投下した爆弾により、5人の犠牲者と負傷者が出ました。米国立公文書館の資料からこのB29が8月6日広島に原爆を投下した「エノラゲイ」であることがわかりました。本物の原爆を投下する前に模擬原爆を名古屋に投下していたことがわかりました。
 名古屋空襲について関心を持ち、疑問を発見し、それを明らかにすることが大切だと思います。