「こんなお話を聞きたかった」◆ボランティアガイド研修会開かれる
ボランティア 熊本 典生





 

 当館の常設展示ガイドをしている皆さん、これからガイドをしようと考えている皆さん、そしてもっともっと知見を深めたいという熱心な皆さん、合わせて23名が冷たい雨の降る1月20日土曜日にピースあいちで開かれた研修会に参加いただきました。当NPO法人の理事で東海高校教師の西形先生が当日の未明までかけて練り上げたレクチャーは、とても密度の濃いものとなりました。


 研修会資料の一部を掲載します。

Q. なぜ名古屋はそれほど激しい空襲を受けたのですか?
A. 米軍は、日本の軍用機のエンジンの42%が名古屋を中心としたネットワークで生産されていると当時の資料の中で評価していました。名古屋を徹底的に攻撃すれば日本の航空機戦力に大きな打撃を与えることができると考えていたのですね。

Q. 名古屋のどこを狙ったのですか
A. 米軍の航空軍司令官であったカーティス・ルメイは日本の都市では町工場でも航空機の部品を作っていることをあげて、市街地への爆撃を正当化するような発言を戦後になってしています。戦意をくじくために多くの市民が暮らす住宅地をも空襲の標的にしていたことへの言い訳でしょうか?

Q. 日本は一方的な被害者だったのでしょうか?
A. 人類の歴史の中で、最初に市民の生活の場である都市市街地に爆撃を落としたのは日本でした。1931年10月8日、満州事変勃発から20日後の錦州爆撃です。その後も1938年から41年の重慶爆撃など、中国の都市に対して繰り返し無差別爆撃を行いました。


 研修会に参加されたボランティア数名の方から感想をお聞きしました。

Aさん
「名古屋空襲について知らないことが多く、空襲が何度も繰り返されたことの背景を知ることができました。また2階の展示パネルにあるグラフなど、あらためてデータの語る空襲とそのすさまじいまでの被害に慄然としました」

Bさん
「これからの日本の進む道が心配になってしまいます。戦争の惨い実態を語り続けていくことが平和な世の中を作ることにつながると、ピースあいちでの活動の大切さとその意味を改めて心に強く刻むことができました」 

Cさん
「今世界で起こっている争い、戦争についてその背景にある宗教、文化、歴史を知ることの大切さを学びました。これからも勉強を続けていきたいと思います」

 西形さんのレクチャーは、展示ガイドを目指す皆さんのみならず、ピースあいちに集うすべての皆さんの心に強く響くものになったと確信します。ピースあいちには西形さんをはじめとする研究者が集い、これまでも多くの証言集、研究書を発行し戦争の実態を明らかにしてきました。
 「こうした話がお聞きしたかった」「こんな先生にもっと早くお目にかかりたかった」と参加者の皆さんが口々に仰っていたことを最後に付け加えておきます。