蓄音機で聞く 戦前・戦後の歌謡曲?~検閲とは何だったか~?
◆第11回寄贈品展「戦争が残したモノたち」展 関連企画
SP倶楽部  井上 雅紀

                                           
 

 「歌は世につれ、世は歌につれ」と言いますが、はたして本当にそうでしょうか?
 昭和16年の開戦で本格化した戦争ですが、それ以前からすでに一般市民の生活は様々な統制・検閲を受けていました。レコードが検閲を受けるようになったのはかなり早く、昭和9年からです。その後、「政治、経済、文化のいずれを問わず、一切のものは国家目的を無視してはその存在を許されない」(コロンビア常務取締役武藤与一の言葉)状況に突き進んでいきます。
 ダンスホール禁止(昭和15年)を経て「米英音楽の追放」(昭和18年)となり「ジャズは百害あって一利なきもの」 とされました。演奏もレコードを聴くことも禁止されたのです。(例:アロハ・オエ、ダイナ、オールド・ブラック・ジョー、スターダストなど)

 

 この頃の「検閲」の実態を、今回の蓄音機コンサートの中で明らかにしたいと考えていますが、ここではその具体的内容の一部を紹介しましょう。
 (1)「きらめく星座」(佐伯孝夫作詞・佐々木俊一作曲) 歌:灰田勝彦
   軍部から曲の歌詞が軟弱だとクレームが入り、また灰田の軽い歌声が軽佻浮薄と断じられ、さらに「星」が陸軍の象徴(階級を表す)だということで睨まれた。
(2)「夜のプラットホーム」(作詞:奥野椰子夫・作曲:服部良一) 歌:淡谷のり子
   発売禁止。理由は、歌詞や曲調が軟弱で兵士の厭戦気分を助長すると判断されたから。「出征する人物を見送る風景が連想され、女々しい」(検閲官の言葉)としている。
*この検閲官(小川近五郎)は作詞家の実体験を正しく読み取っているのです。実は、作詞家の奥野椰子夫は、新橋駅で出征兵士を見送る勇ましい歓呼の中で、プラットホームの陰で泣いている新妻らしい女性の姿に心打たれて詩を作ったのです。
 (3)「湖畔の宿」(作詞:佐藤惣之助・作曲:服部良一) 歌:高峰三枝子
   発売禁止。感傷的な曲調と詞の内容が日中戦争戦時下の時勢に適さないとの理由。だが、ラジオ放送などで大いにはやり、大衆はそれを無視した形になり発禁は骨抜きになったといいます。

展覧会場の様子1

2022年7月30日のイベントから(ピースあいちにて)

 戦後。開放された時代の空気と大衆の心が投影された数々の戦後歌謡曲。自由を得た喜び、貧しいながらも夢のある生活、その反面、生きることのつらさと哀しみ・・・などの歌曲を紹介します。→「りんごの歌」「東京ブギウギ」ほか

 

※2月10日(土)の「蓄音機で聞く 戦前・戦後の歌謡曲」では、これらの歌曲をSPレコードで鑑賞していただきます。(解説付き)