天野鎮雄(通称:アマチン)さん逝く
ボランティア  吉田 稔



 

 ピースあいちにとって、2023年11月5日に「天野鎮雄(通称:アマチン)」さんが亡くなられたことは、とてもショッキングなことでした。前館長の故野間美喜子さんと天野さん、山田昌さんご夫妻はたいへんに親しい間柄でした。ぼくはまだ、天野さんは、あの全国的に有名な名古屋弁を使う山田昌さんと結婚した人ということぐらいしか知りませんでした。

 皆さんもご存知と思いますが、※2004年6月、9条を中心に日本国憲法を「改正」し、日本を再び戦争をする国に変えようとする動きに危機感を抱いたノーベル文学賞受賞作家の大江健三郎さん、作家の井上ひさしさんら9人が呼びかけ人となって、全国に呼びかけて「九条の会」が誕生しました。翌2005年1月22日には、「あいち九条の会」が結成されました。7人の代表世話人の一人に天野 鎮雄(俳優)さんの名前があって驚きました。さらに世話人として山田昌さんの名前もありました。
 僕自身も中部大学副学長の勝守寛氏とオハイオ大学教授のオーバービー教授が立ち上げた「第9条の会なごや」に2002年から入会していました。そんなこととか、天野さんのご自宅が近所にあって、以来、何かと出会うことが多くなりました。
 決定的だったのは、2005年、「平和のための戦争資料館展」(モデル展)開催の記事を見て、この「ピースあいち」の活動にも飛び込んだことでした。

 前述したように、前館長の野間さんもよく天野さんと昌さんをご存知でした。ピースあいち設立の良き支援者の一人でした。
 もう一人は、天野さんと馬場さんとの出会いでした。2009年から中高校生たちの朗読会を提案してこられた南山国際中学・高等学校の演劇部顧問、馬場豊先生でした。彼は文学・演劇に特に造詣が深く、ピースあいちの企画で天野さんの朗読会「捕虜の居た駅」を演出しました。この会は、城山三郎が書いた幻の短編として事前に中日新聞ほかが積極的に記事にしてくれたこともあって大成功でした。その後もピースあいちで、馬場さんが脚本を書いて天野さんが朗読する会が「天野鎮雄が読む-愛知一中予科練総決起事件」「女絵かき誕生-丸木俊」と続きました。時々、天野さんと馬場さんとで戦わされる演劇論はとてもハイレベルなものでした。
 葬儀の際の喪主・天野こず重さんの会葬お礼の挨拶でも、「両親の熱い演劇論が当たり前のように聞こえていた我が家」とあり、演劇に対する天野さんの想いはいつも真剣でした。

 最大のイベントは、天野さんの仲介で女優の竹下景子さんが「ピースあいち設立10周年記念イベント」に参加されたことです。ボランティアの皆さんに最高のプレゼントになりました。天野さんは、約50年前に東海ラジオの深夜番組「ミッドナイト東海」初代パーソナリティとして人気を博していました。その当時のファンの一人が、女子高校生だった竹下景子さんでした。この縁で、天野さんがNHK名古屋放送劇団に紹介して、現在の女優・竹下景子さんがあります。
 天野さん、昌さん、竹下さんの豪華なメンバーによるトークショ-が実現しました。その時のステージ写真がありますが、神妙な竹下さんを天野さんと昌さんが挟んで、天野さんの優しい笑顔が忘れられません。